藤沢 社会
公開日:2025.07.11
戦後80年 語り継ぐ記憶
空襲と焼け跡 描いた思い
漫画家 ビッグ錠さん
『包丁人味平』などの作品で知られる漫画家のビッグ錠さん(85)。大阪に生まれ育ち、壮絶な空襲体験や戦後の焼け跡の記憶が今なお残る。約40年後に描かれた『風のゴンタ』には、当時の自分と同じ世代の少年たちがたくましく生きる姿が映し出されている。漫画を通じて次世代の子どもたちに自身の体験を伝える意義を語ってもらった。
日常に迫る空襲の脅威
生まれ育った大阪市旭区大宮は淀川に近く、市内の端に位置する。1945年春には、大阪の中心地にあった砲兵工廠への空襲が行われた。「週に何回も警報が鳴るような状況だった」。3月の神戸大空襲の夜には、近所の人たちと淀川の土手から見た。「神戸の方の空が真っ赤に燃えていた」と当時を語る。
同年6月になると、旭区にも戦火が及ぶようになった。父親は洋裁店を営む傍ら、消防団に所属していた。空襲に備え、店の地下にはコンクリート張りの防空壕が作られていた。「毎日のように続く空襲で、その日も防空壕に避難したが、焼夷弾がもたらす熱気で、中にいられなくなった」。たまらず地上に出ると、目の前には想像を絶する光景が広がっていた。商店街を走る市電は止まり、線路の上では人々が列をなし、北を目指して歩いていた。
生死を分けた母の判断
乳母車に乗る2人の妹と母とともに、親戚の家がある守口方面への列に加わった。
途中、多くの人が淀川の方へ向かっていた。「人はああいう時、熱気から逃れるため川に向かう。自分らも、ついそっちへ行こうとした」
その時、布団をかぶって反対側から逃げてきた女性が「あっちへ行ったら機銃掃射やで!」と叫んだ。その一言で、母は川へ向かうのをやめた。「淀川の辺りは機銃掃射で多くの人が亡くなったと後から聞いた」。母のとっさの判断が、一家の命を救った。
守口市で終戦の日を迎えた。「家の奥で、おふくろが『戦争終わったで!』と大きな声で叫んでいたのを覚えています。もうあの爆弾が降ってくる日々が終わるんだと、幼いながら本能的にほっとした」
戦後の風景と『風のゴンタ』
「自分の戦争体験は、兵隊に行ったわけではない。だが、生き残った者たちもまた苦しみを味わった」。連日の新聞報道で餓死者のニュースが入ってきた。「家も、食べる物も、着る物もない。空襲で家族を失った子どもたちが大勢いた」
現在ビッグ錠さんの公式ホームページで読むことのできる『風のゴンタ』は1988年、漫画雑誌に掲載された。そこには戦後、洋裁店として米軍相手に商売をしていた様子から、子どもたちの秘密基地や遊び場となった焼け跡での日常、混沌とした闇市の風景、不発弾の事故、戦災孤児の生き方までがリアルに描かれている。
制作のきっかけは、図書館で出合った子どもたちの空襲体験の画集に衝撃を受けたこと。「当事者である自分なら、記憶と資料を比較しながら、創作で語り継ぐことができる」。図書館や書店で資料にあたった。「創作の上では、資料と記憶をイメージの中で重ね合わせていく」。創作者として力を尽くした。
「戦争は始まってしまったら止められない。その予兆を感じたら、自分で考え、自分で調べて、絶対ダメだという声を上げなければいけない」。その言葉は80年の時を超え、現代を生きる私たちに重く響く。
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