優れた技術や知識を有し、各分野の第一人者として活躍する技能者を県が表彰する「神奈川の名工」が、先月発表された。本紙では鎌倉市内から選出された3人の「匠」の横顔を紹介する。第3回は二階堂で中国精進料理店を営む林訓美(りんくんび)さん(68)。林さんは介護食の開発等で厚生労働大臣表彰を受賞したほか、後進の育成に尽力したことなどが評価された。
音楽諦め料理の道へ
林さんは横浜で中華料理店を営む両親の下で育った。中学、高校時代は音楽にのめり込み、吹奏楽部やジャズバンドでチューバの腕を磨いていた。当時の夢は音大に進みプロになること。しかし、必須課題のピアノが苦手で断念。そんな時、母親から「好きな事ばっかりやってないで、働く厳しさを覚えなさい」と言われ、東京・築地の中華料理店に住み込みで修行することになったという。
「もともと切り替えが早くて、目の前のことに集中するのが得意だった」という林さん。店では季節の野菜を覚え、料理の下拵えに精を出した。黙々と雑用をこなしていくと、店長や先輩から信頼されるように。「ほめられると伸びるタイプだから、楽しくなってどんどんはまっていってね」と照れたような表情で語る。3年間の修行の後、独立した。
「一歩先の目標」追う
中学時代に始めた空手の師匠から受けた「常に一歩先の目標を定めろ。そうすれば大きな夢が叶う」という教えを胸に、料理人としての地位を築いていった。31歳の時に「お客さんの要望に合った店を作ろう」と東京・上野で店を構え、当時あまりなかった深夜営業を開始。終電を逃したサラリーマンや飲食店の従業員で賑わい、たちまち繁盛店になった。ランチ営業から始まり、翌朝までの長時間営業だったが「空手で鍛えていたから肉体的にも精神的にも苦ではなかった。むしろ楽しかったくらい」と笑う。
鎌倉で「凛林」開店
長年、二人三脚で店を支えてきた妻が2001年に他界。「これまで働きづめだったから、少しゆっくりしたいと思った」という。そんな折、知人から鎌倉の話を聞き、たどり着いたのが永福寺の食物庫があったとされる二階堂の紅葉谷。「山あいだけれど風通しがよく、北京ダックを作るのにも最適」と11年前、「鎌倉凛林」をオープンした。予約客を中心とした営業で、「お客さん一人ひとりとじっくり向き合えるから充実している」と林さん。鎌倉の歴史的背景も踏まえ、アレンジした精進料理も提供している。
複数の調理師学校で講師を務め、公演会で全国を回るなど後進の育成にも力を注ぐ。また幼稚園や小学校で「親子の手づくり餃子教室」を行うなど、子どもの食育にも取り組む。50年にわたる料理人人生を振り返り「なろう、と思ってなった訳ではなかった。ただ、続けてみて楽しいと思えたらそれが天職だった。子どもたちにもそういう出会いを見つけて欲しい」と、優しい目で語った。
鎌倉版のローカルニュース最新6件
|
台湾への募金箱設置4月19日 |
|
|
|
鎌倉山かるた会 大会で躍進中4月19日 |