鎌倉市議会はこのほど、長く鎌倉に住み第二次大戦中にユダヤ難民救済のため奔走したヘブライ文化研究家、小辻節三(1899〜1973)の人道的行為を顕彰する決議を全会一致で可決した。10月10日には小辻の親族と駐日イスラエル大使に決議文を贈呈。市教育委員会がその生涯をまとめたリーフレットを作成し教育現場で活用することも決まるなど、「命のビザをつないだ男」の功績に改めて注目が集まっている。
ナチスドイツの迫害を逃れるためリトアニアの日本領事館を訪れたユダヤ人にビザを発給し、「日本のシンドラー」と言われる外交官・杉原千畝。杉原が発給したビザを手に日本にたどり着いたユダヤ人難民たちが、アメリカなどの第三国へ行けるよう尽力したのが小辻節三だった。
ヘブライ語が堪能だった小辻は1940年、ユダヤ人コミュニティーの求めに応じて神戸を訪れると、外務省や警察との交渉に奔走。行き先が決まるまでビザの期間を延長させるなどして、多くのユダヤ難民を「安住の地」へと送り出した。
しかし当時の日本はドイツと同盟関係にあったため、戦時中はスパイを疑われた。家には盗聴器が仕かけられ、拷問を受けたこともあったという。
戦争が終わった後も、小辻自身がこうした事実を他人に話すことはほとんどなく、40年から亡くなる73年まで住んだ鎌倉でも、その業績はほとんど知られてこなかった。
しかし鎌倉市議会が昨年6月、晩年を鎌倉で過ごした杉原千畝の功績を顕彰する決議を可決したことで、「命のビザをつないだ男」小辻にも改めて光があたることになる。
決議を前に市議会議員や市教育委員会の関係者によって杉原の鎌倉での歩みに関する調査が進むと、同じく鎌倉にゆかりが深い小辻の業績が次々と判明。今年1月には市中央図書館が、杉原と小辻をテーマにした企画展を開催した。
そして市議会は9月11日、「ユダヤ難民に対する人道的行為を行った小辻節三博士を顕彰する決議」を全会一致で可決。10月10日には小辻の親族と駐日イスラエル大使に市議会本会議場で決議文を贈呈した。
山田直人議長は「小辻博士の行為を広く伝えていきたい」とあいさつ。娘の暎子さん(86)は「母や私たちも『スパイの家族』と呼ばれ、つらい思いをしたこともありましたが、父は自分の行いを誇ることも他人をうらむこともありませんでした。こうした機会に父を多くの人に知ってもらえたらうれしい」と話していた。
中1向け教材に
また市教育委員会はこのほど、小辻の生涯をまとめたリーフレット約1100部を作成した。
今後は中学1年生を対象に配布し、総合学習などに活用する予定で、市教委の担当者は「小辻さんの勇気ある行動とともに、命の大切さを学ぶ機会になれば」と話していた。
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