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公開日:2023.08.11

後世に伝える戦争の記憶
「助け合う気持ち大切に」

  • 戦争を経験した大村さん

  • 平和教育を行う川坂教諭

 1945年8月15日の終戦から今年で78年。太平洋戦争の惨劇を語り継ぐ人々は、貴重な存在となりつつある。小学2年生の時に終戦を迎えた二階堂在住・大村貞雄さん(86)と、原爆が投下された広島県出身で現在は鎌倉市内の小学校で平和教育に取り組む川坂愛教諭。戦時中の悲惨さや、戦争が再び起こらないための教育に対する思いを聞いた。

 「砲弾の破片が落ちる様子が、今でも脳裏に焼き付いている」。大村さんが暮らしていた二階堂で大きな被害はなかったものの、江の島方面から横須賀に向かう米軍機が上空を制圧。裏山に登ると横須賀方面で煙が立ち上っているのが見え、「これでは勝てるわけがない」と悟った。終戦と聞いた時の心境を、「やっと終わってほっとした」と振り返る。

 「お腹いっぱい食べたかった」。小学生だった大村さんが、戦時中に苦しい思いをしたのが食料の確保だ。学校給食は、月日が経つに連れて質素なものに変化。そのため、同級生と山に入って柿や栗、ヤマブドウなどを採ったり、捕まえたザリガニやカエルを醤油で煮込んで味を調えたり。まわりと助け合いながら飢えをしのいだ。「毎日が生きることに必死。そのための努力と知恵の習得は欠かさなかった」

 まもなく終戦から78年。以前に比べて共同生活や団体行動をする機会が減っていると大村さんは感じ、人間関係が薄れていくことを危惧する。「時代はそれぞれに違いがあるけれど、いざという時に協力し、助け合う気持ちが大切」と話す。

平和教育を継続

 稲村ケ崎小学校に勤務する40代の川坂教諭は、学校の総合学習に平和教育を取り入れる。

 昨年まで在籍した富士塚小では、「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木貞子さんの同級生・川野登美子さんに講師を依頼し、3年生が当時の広島を舞台にしたオリジナル朗読劇に挑戦。校内で発表し、児童や保護者に向けて平和の大切さを訴えた。

 広島で生まれた川坂教諭は、祖父母が戦争を体験。爆撃音を聞き、きのこ雲を見たという祖母と、特攻隊に志願して訓練を受けた祖父の話を幼い頃に聞き、戦争の残忍さや平和の尊さを感じながら育った。自身も教壇に立つ前は、青年海外協力隊の一員として内戦が続くコロンビアに派遣され、現地で紛争の恐ろしさを目の当たりにした。

 「学校での平和教育は身近なもの」。広島で育った川坂教諭はそう思っていたが、鎌倉では平和教育が少ないと感じた。「戦争はこれまで、普通の生活をしている中で起きている。その恐ろしさを子どもたちに理解してもらう必要がある」と言い、7年前から小学校で平和教育を推進している。

 稲村ケ崎小に赴任した今年は、担任を受け持つ3年生を対象にした平和教育を、2学期以降に企画。昨年同様に川野さんを講師に招くが、これまでと違うのは児童たちに主体性を持たせることだ。川野さんから話を聞いたうえで、子どもたちに何ができるのかを考えてもらい、自身はサポート役にまわる予定だ。

 川坂教諭は、「平和教育はその場で終わらせないことが大切。これからも児童や保護者、市民に向けて発信していきたい」と語る。

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