5月26日(日)に長谷川楽器店Cサイドサロンで演奏会を行う 伊藤 寛隆さん 茅ケ崎高校出身 45歳
「茅ヶ崎は私のふるさと」
○…「プロとして聴衆の皆様が第一です」。日本フィルハーモニー交響楽団所属のクラリネット奏者で、1995年3月から首席を務める。2年に1度、各パートで首席の選挙があり、その大半は毎回入れ替わる激戦の座。入団後の最初の改選で就任してから現在まで、首席であり続ける実力者だ。「僕なんてまだまだです」と努力は絶え間ない。
○…鎌倉で生まれ、両親と妹の4人暮らしだった幼少期は野球少年で、中学では野球部に入るつもりでいた。しかし、入学式の吹奏楽部の演奏で心を奪われ、入部を決める。パートは「空きがあったから」という理由でクラリネットに決定。「最初は嫌で嫌で仕方なかった。でも、ソロを担当することになって」気持ちがガラッと変わった。知人から紹介された大学教授の指導の下、ひたすら練習した。成長は著しく、中学で部長、吹奏楽が盛んだった進学先の茅ケ崎高校では部長兼指揮者に。その教授を慕い洗足学園大学へ進み、クラリネットを基礎から学ぶ傍ら、同高吹奏楽部嘱託職員(コーチ)として後輩の指導に長年貢献することとなる。
○…大学卒業時に日本フィルハーモニー交響楽団のオーディションを受けるが、スケジュールが合わずに辞退。やっと欠員が出た4年後に再応募し、厳しい選考を突破し正団員となった。5月26日の演奏会はフリーの時にお世話になった想い出の会場。「朝起きて長谷川楽器店へ直行して練習。その後高校でコーチをし、また戻って教室の講師をさせてもらった有難い場所です」
○…「茅ヶ崎なしに私は存在しないです」。オーディションで伴奏をお願いしたのは市内に住む大学の先輩、茅高で苦楽を共にしたのも東海岸北から通う副部長、奥さんは茅高の後輩で萩園出身だという。茅ヶ崎は「隅から隅まで好きです。1つに絞れないなあ」と思いを巡らせる。その後「茅ヶ崎は私の故郷です」とハッキリ笑顔で断言する姿が印象的だった。
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