終戦からまもなく75年を迎える。戦後に、米軍の射撃訓練の的となった「えぼし岩」。戦前から戦後、猛威をふるう新型コロナの昨今まで時代とともに歩み、モニュメントやグッズとして街に根付いている。
「えぼし岩」の正式名称は「姥島(うばじま)」と言い、かつては、先端部がより烏帽子らしく西へ尾を引いていたが、戦後に米軍の射撃訓練の標的となり、消失した。市役所本庁舎2階の屋上庭園には、射撃を受ける前の形をしたモニュメントが設置されており、変化を間近で感じることができる。
時を経て「えぼし岩」はさまざまなものに形を変えた。サザンオールスターズの歌詞に登場したり、市特別観光大使「えぼし麻呂」を始め、海沿いのサイクリングロードの車止めのほか、茅ケ崎駅の相模線ホーム東端には駅開設90周年を記念したモニュメントがある。市内の菓子店が手掛けた和菓子やサブレなどは土産物として人気で、市観光協会が作るTシャツなどのグッズや、毎年リニューアルする観光誘客ポスターにも必ず盛り込まれている。
世の中が変化しようとも、それは変わらない。今年7月に全国でスタートしたレジ袋有料化に合わせ市観光協会が製作した「エコバッグ」や、コロナ対策にも使える市文化・スポーツ振興財団の「アロハマスク」にも、しっかりとデザインされている。
茅ヶ崎漁港とえぼし岩を結ぶ「えぼし岩周遊船」。船内で流れるアナウンスでは、米軍の射撃の的だったことも紹介している。石井満夫船長(49)は、30年ほど前に岩場で銃弾を発見したこともある。「歴史を知ってもらうことは大事」とした上で、「景観やえぼし岩での釣りも存分に楽しんでほしい」と笑顔を浮かべる。石井船長は言う。「いつまでも変わらないでいてほしいね」
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