大磯海水茶屋組合の組合長を務める 鈴木 敏勝さん 大磯町大磯在住 71歳
日本初の海水浴場へようこそ
○…差し出した名刺には、大磯海水浴場の賑わいぶりを描いた明治時代の浮世絵「祷龍館繁栄の図」。明治18年、初代陸軍軍医総監の松本順が大磯照ヶ崎海岸に海水浴場を開設。政財界の要人が別荘を構え、避暑地番付で大磯が日本一に。海水浴場は町の発展の礎となった。「最初は照ヶ崎。昭和30年代には大磯港の場所にあり、現在の北浜海岸へと移りました。港と西湘バイパスが整備されて様子がガラッと変わりましたね」。海水浴場発祥の地の歴史と時代の移り変わりに思いを馳せる。
○…駅から徒歩10分の近さ。兜岩を目印に、西側は小さい子どもが遊びやすい遠浅で、東は海底の角度がやや大きくなる。さらに東寄りはサーフィンエリア。大磯海水浴場の特徴をそう説明する。「砂浜が広く、変化に富んでいる海水浴場は県下で他にないのでは」と、のどかな雰囲気の浜辺に視線を注ぐ。夏休みの帰省先に似たような、どこか懐かしさを覚えるアットホームな海の家9軒が、8月28日まで利用客を迎える。
○…生まれも育ちも大磯町。海の家凡児(ほんじ)は町議会議員だった父が終戦翌年に始めた。サラリーマンとして銀座で働き、2代目を継いだ。「海の家のほとんどは家族経営。沢山いる親戚にも手伝ってもらいました」。夏本番を迎え、テレビやラジオの取材に応対することもあるが、「顔を出すのは他の組合員に頼む」という控え目な組合長。
○…町観光協会の理事や副会長も務めた。レジャーの多様化などで海水浴場利用者は減少傾向にあり、大磯町が観光の核づくりを目指す中、若い世代を起用して彼らのアイデア実現を後押しするのが、自分たちの世代の役割だと考える。
○…東海道線で帰る時、高麗山が見えると「ほっとする」心地よさが大磯の魅力だという。「若い時はゴルフもしたけれど、退職して毎日は行けないから」と、海釣りと約250坪の借地での野菜づくりを楽しむ。
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