小田原と三陸 神社に眠る兄弟絵馬の謎
市内米神の正八幡神社にある昭和初期に奉納された鰤(ぶり)の絵馬。それと同様のものが、遠く離れた岩手県三陸の山田町、山田八幡宮にあるという。
山田町の絵馬には「奉納 祝大漁 相模米神 鰤漁場 昭和十六年五月 南部漁夫一同」、米神の絵馬には「奉納 昭和十四年六月 相洋組合 米神鰤網漁場」と記されている。どちらの絵馬も大漁の魚を囲むように、旭日旗を掲げた船が輪になり、網を曳いている様が描かれている。
2つの絵馬を発見したのは、山田町で「ふるさと岩手の芸能とくらし研究会」の事務局を務める飯坂真紀さん。山田八幡宮のお祭りに行った際に珍しい絵馬を目にしたのがきっかけだった。インターネットで調べ、絵馬の写真が載っている松本勝蔵さんのホームページに行きついた。見たことのある絵馬に「兄弟ではないか?」と気になり問合せをし、米神を訪れることを決心した。
飯坂さんは11月3日、米神の松本勇自治会長らと同行し正八幡神社に入って絵馬を見学。その後、松本さんが経営するデイサービス「天ん屋」を訪ね、二つの絵馬の写真や松本自治会長宅所蔵の古い写真などを見ながら検証をした。「同じ人が描いたのか」、「米神の絵馬を見て山田の絵馬を描いたのでは」、「正八幡神社に奉納された後、山田八幡宮に持って行ったのでは」など様々な意見が飛び交った。確証はつかめなかったが「米神に岩手から出稼ぎに来ていたのでは」という仮説が有力視されている。
「お浜降り」と「御潮垢離」
関東大震災後、米神は日本一の鰤漁獲量を誇っていた。一網で10万匹もの鰤が揚がったこともあったとか。小田原の祭りで唄われる木遣りでも「一締めしめれば鰤(ぶり)網大漁」などと唄われているが、元は漁師が力を合わせて網を引くのに唄われていたものだ。山田では木遣り唄こそないものの、「御潮垢離(おしおごり)」と呼ばれる神輿を担いで海に入り、神輿を清め魂を復活させる禊(みそぎ)の儀式があるという。漁師町らしい共通点がみられる。
飯坂さんは「山田の祭りはとても熱狂的だが津波で神輿が壊れて担げず町民が肩を落としていて悲しい。当時を知るお年寄りが少なく、情報が少ない。結論は出なかったが、謎を追っていきたい」と話した。
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