思い伝える心加減 64歳 椙崎(すぎざき)ゆり子さん
「鬼ゆり」―。穏やかで柔らかな顔付きとは裏腹に、愛情と畏敬の念を込めてそう呼ばれる。1918(大正7)年創業の干物屋「大半商店」で現場一筋46年。副社長の肩書も「名前だけの役職なのよ」と笑う。今も現場で魚を開き、社員らを指導する。
干物は手開きにこだわる。「少し気を抜いただけで味が変わってしまう。『塩加減、干し加減、心加減』が揃って美味しい干物ができるのよ」と一枚一枚に愛情を込める。その思い、こだわり故に、指導も厳しくなる。仕事の話になると目つきもキリリと変わり、作業のやり直しをさせることもざらにあるという。ただ「大半」を巣立つ社員は必ずといっていいほど「鬼ゆり」に泣いて抱き着き、別れを惜しむ。
創業者の父は体が弱く、中心になり立ち働いていたのは母だった。母を「助けたい」との思いで、物心がついた頃から家業を手伝った。「特別な場所」と振り返る工場前の海で、楽しい時には歌を歌い、辛い時には波の音に負けないよう叫んだこともあった。
いつしか「大半の商品を支えているのは『鬼ゆり』」と言わしめるほどに。彼女の影響か多くの女性が活躍しているのが「大半」の特長。「鬼ゆり」の娘もまた然りで、系列店の現場で活躍している。「こつこつと続けることが大事なの」と、食べてくれる人の笑顔を思い浮かべ、今日も現場で檄を飛ばし、魚を捌く。