「当時珍しかった女医さんにかかっていた母が、そんな道もあるよって」――。
女学校卒業を間近に控えた頃、母に勧められた医学の道。「興味があったのは英文学。でも、将来ずっと続ける仕事として考えてみると医者もいいかなって」
東京大空襲で湯島の生家を焼かれ、戦中戦後の混乱期で満足な教育も受けられなかった女学校時代。それでも東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大)に見事合格し、厳しい勉学に励んで医師免許を取得した。
専門診療科に選んだのは耳鼻咽喉科。蓄膿症で通院する学友に付き添って何度も足を運ぶうちに興味をもった。「キビキビした医師達がかっこよかった。動機は単純」と控えめだが、辛そうな友人を思いやる優しさが将来の進路へ導いた。
縁あって所属した慶応大学病院の医局では、生涯の伴侶となる先輩医師・英明さんと出会った。子宝に恵まれ間もなく、義父が営む浜町の山口耳鼻咽喉科を手伝うべく小田原へ転居。するとにわかに子育て中心の生活となり、仕事は「ピンチヒッター程度」に。「一人の患者さんを継続的に診るのがやりがい」と不満は募り、子育てが一段落すると栢山に分院を開いた。
以来36年、今も現役で切り盛りする。「最近は泣きわめく子どももかわいい。おばあちゃん目線ね」。体力は衰えても、「患者さんが喜ぶ姿は何年医師をやってもうれしい。もう疲れてダメというまで頑張ります」
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