東海大菅生高校3年の勝俣翔貴君(箱根町出身)は、10月22日に行われたプロ野球新人選手選択会議(以下ドラフト会議)で指名が期待されたが、事前に3位以下なら大学進学と公言していたこともあり、最後まで各球団から指名されることはなかった。卒業後は国際武道大学へ進学する予定。
憧れの夢舞台は、4年後に持ち越された。
事前に同校野球部の若林弘泰監督との話し合いで「3位以下の指名なら大学進学」と定め、臨んだ運命の日。勝俣君は、ドラフト会議が始まった午後5時から野球部員らとともに、教室でテレビ中継を見守った。今年8〜9月に開催されたU-18W杯で一緒に戦った高橋純平君(県岐阜商)らが続々と上位指名を受け、自身もその瞬間を待った。だが、各球団の4巡目指名が終了した時、勝俣君は監督らと会場を退出。その後、1人で姿を現した若林監督が重い口を開いた。
「スカウトの方にも2位までならと言っていたので、この後の指名はない」と説明。試合で負けても涙を見せなかった勝俣君だが、この時ばかりは悲しみに暮れていたという。
「必要とされる選手に」
一夜明けた23日、勝俣君は取材に対し「プロ球団から欲しいという選手になりきれていなかった。大学でも一生懸命練習し、1位指名されるような選手になりたい」と話した。
中学時代に在籍した小田原足柄リトルシニアの古舘哲志監督(66)も「もう1度鍛え直して4年後にプロへいってほしい」とエールを送り、母・文子さんは「これからもしっかり見守りたい」と語った。