秦野版 掲載号:2012年12月15日号
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「秦野の鹿鳴館」再建へ!蓑毛からつむぐ秦野の夢 vol.‌15(通巻41) 「秦野の鹿鳴館・旧梅原家洋館再建の会」 会長引き継ぎ(2)

 明治25年頃梅原修平によって尾尻に建設された旧梅原家住宅・応接棟は、弘法山を望み、箱根、富士山を見渡せる3000坪の広い敷地の西側、秦野二宮線に面する一角に建っていました。庭には、中島のある池、奥には築山があり、一時、テニスコートもありました。和風瓦屋根の2階建の和室が何室も続く大きな母屋、倉の他、大正期には池に面して洋館が増築されました。

 さまざまな変遷の後、1997年、市民の手によってこれら建物は調査・解体、部材は秦野市に寄贈され、現在、末広小学校の空き教室に保管されています。

 様々なイベント(コンサート、見学会、展示会、講演等)を行いました。同時に「タウンニュース」紙上に、この洋館の建築的意味、梅原修平はじめ梅原家の歴史や当時の秦野の政治や産業に関わる記述、今日に至るまでのこの建築を巡る社会的状況の変化、また現実に梅原住宅で過ごした方々の生活体験を含め、当時の様子や思い出など、様々な切り口で、洋館再建のための情報発信の連載記事を掲載しました。また再建場所として、秦野市内のふさわしい候補地を複数選定し、その場所に再建した場合の意味合いも含めて図や文章で表現してきました。再建候補地の市民投票も実施し、建設場所として蓑毛地区が手を挙げた事もあり、蓑毛が最有力地として選定されました。

 会長を引き継いだ久保寺の考えは、以下のとおりです。

 平成9年、旧梅原邸が壊されるという東海大学建築学科稲葉助教授からの情報があり、現地を見て、この建物は優れて価値があり、秦野市にもこのような建物が存在する意味を後世に伝えるべく、ぜひ保存すべきと考えました。安本、酒井、福田、片桐各氏とも協議して、「秦野の鹿鳴館・旧梅原家洋館を保存する会」を発足させました。5000名を超える一般市民、学生、建築関係者等を含む賛同署名や協力のもと300万円を超える寄付金が集まりました。市民自らの手で建物を解体し記録図面を作成、部材を秦野市に寄贈しました。

 この時、「部材を活用の場合は市民及び秦野市は、お互い協力し誠意を持って対処する」との覚書を秦野市教育長と取り交わしました。以上の事からも、教育長名で一方的な撤去、処分の通知は受け入れられるものではなく、市との交渉を現在進めています。

 梅原家の人が秦野に旧梅原邸を建てる事を望まないと寿徳寺の和尚の話を聞いて再建に対する意欲がそがれたとの事でしたが、当初この解体に尽力頂いた梅原俊さんは、当時88歳でありましたが会計の責任者として寄付金の帳簿記載処理だけでなく、解体された部材の1本、1本を毎日のように大切に布に巻く作業をされていた事が強く印象に残っています。また梅原八重子さんの係異で曽屋村御門(みかど)に居を構える梅原さん一家は洋館保存の会への協力を惜しみませんでした。時代が移り、この建築の当事者である梅原修平、梅原良の両氏の思いとは別に、建物がなくなってしまった現在、後世代の梅原家にとってどれだけの意味を持つのかは定かではありません。

 いずれにせよこの価値ある建築を再建する事が、秦野の歴史・文化を後世に伝える大切な事であると私は確信しています。

 秦野の鹿鳴館・旧梅原家洋館を再建する会会長

 久保寺敏郎
 

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