神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
秦野版 公開:2018年11月23日 エリアトップへ

「東田原の源実朝公御首塚」

教育

公開:2018年11月23日

  • X
  • LINE
  • hatena

 実朝が鎌倉で殺害されてから来年の一月二十七日で800年が経ちます。

 実朝の御首塚は田原ふるさと公園の近くにあります。実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で第三代征夷大将軍です。

 一二一九年に実朝は鶴岡八幡宮での参拝の帰りに甥の公暁に殺害されました。28歳でした。その後、実朝の首を持った公暁は追っ手の三浦義村の家来に殺害され、首は当時この地を治めていた波多野忠綱に義村の家来の武常晴らが渡し、手厚く葬られたと伝えられています。

実朝の体はどこへ

 御首塚は東地区にあるので、首が秦野にあることは分かっていますが、「体」は一体どこにあるのでしょうか。そんな疑問を抱きました。

 そこで、私たちは実朝の体がどこに埋葬されているのか、探すことにしました。

 実朝が殺害されたのが、鎌倉の鶴岡八幡宮という事から、体はそう遠くには運べないのではと考え、鎌倉を調べると「寿福寺」というお寺に当たりました。

寿福寺とは

 「寿福寺」は、一一九九年に頼朝が亡くなると、翌年の一二〇〇年に妻の北条政子が夫の菩提を弔うため、明庵栄西を招いて、源義朝ゆかりの土地に建立されました。義朝は頼朝の父で、この場所に居館がありました。

実朝の墓

 実朝の墓は寺の裏山の「やぐら」にありました。「やぐら」とは、鎌倉で墓地などとして用いられた人工の洞窟です。そのやぐらは墓地の隅にあり、見つけるのが大変でした。やぐらの中には秦野の御首塚と同じ五輪塔がありました。

 隣には母である北条政子の墓もありました。

実朝の木像

 実朝の姿を東田原の金剛寺の木像でも見ることができます。

田原ふるさと公園 実朝の御首塚
田原ふるさと公園 実朝の御首塚
鎌倉 寿福寺 実朝の墓
鎌倉 寿福寺 実朝の墓
金剛寺は実朝の首を武常晴が埋葬したことが始まりと伝わる寺
金剛寺は実朝の首を武常晴が埋葬したことが始まりと伝わる寺

秦野版のローカルニュース最新6

抽選会の当選者決まる

丹沢まつりスタンプラリー

抽選会の当選者決まる

西商店会連合会

5月3日

点字の基本学びませんか

点字の基本学びませんか

点訳ボランティア講座

5月3日

四季折々の油絵を楽しむ

四季折々の油絵を楽しむ

「渋谷個展」 5月6日まで

5月3日

熱のこもった演奏を披露

熱のこもった演奏を披露

明大マンドリン 演奏会

5月3日

市民吹奏楽団が演奏会

市民吹奏楽団が演奏会

5月18日 文化会館

5月3日

セルフタッピングで自分を癒そう

【Web限定記事】はだの生涯学習講座

セルフタッピングで自分を癒そう

5月25日 本町公民館で

5月1日

あっとほーむデスク

  • 4月26日0:00更新

  • 10月27日0:00更新

  • 10月20日0:00更新

秦野版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2024年5月3日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook