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秦野 文化

公開日:2024.01.19

はだのうんちく〜干支編〜
龍の尾が触れた「尾尻」

  • 太岳院と今泉名水桜公園の池

  • 龍がモチーフのローラー滑り台

 2024年は辰年。実は秦野にも「辰」…つまり「龍」に縁の深い場所がある。それが秦野市の「尾尻」地区。この「尾尻」は龍の尾が触れたところからきたという昔話があるのだ。

 その昔話というのが『龍と娘』という南地区今泉に伝わる物語。岩田達治氏が地元の人々から聞いた物語を編集した『丹沢山麓 秦野の民話』の中に掲載されている。この話は紙芝居などにもなっているほか、子どもたちに身近な”あの遊具”のモチーフにもなっている。

 さて、”あの遊具”が何の遊具かというと、秦野市カルチャーパークのペコちゃん公園はだのにあるローラー滑り台だ。よくよく見ると滑り台の先には龍の顔が。他にも様々なところに龍のモチーフがちりばめられている。秦野市によると、同公園を設置する際に、地元である南地区に伝わる『龍と娘』の話をモチーフに取り入れようと決めたのだとか。

 そんな昔話に伝わる「龍」が住んでいたとされるのが、現在は今泉名水桜公園となっている今泉遊水地。昔、この池に人の話し声や歌声が好きな一匹の龍が住んでいた。その池の近くには美しい娘が住んでおり、その娘は夜になると池の岸辺で歌っていたそうだ。ある日、娘が足を滑らせ、驚いた龍が姿を現し娘を池の中に隠してしまう。それから数日経ち、大雨と雷の中、娘と共に室川を下っていく龍の尾が触れたところが「尾尻」と伝えられているのだとか。

 意外なところ、身近なところに秦野の「龍」が隠れているかも…。干支をきっかけに「龍」探しも面白いかもしれない。

龍と娘

 今泉部落の中ほどに太岳院と呼ばれるお寺があります。そのあたりは、大むかしの人達が住んでいた遺跡がそこここに見られます。いいかえれば三、四千年の歴史の足あとが残されているのです。人が住むということの必要な条件、それは水が豊富なことです。今もこの寺の前には、こんこんと清水が湧き出し、池をつくり、その昔の面影を残しています。

 この池には、悲しい話が伝えられています。

 池には、一ぴきの大きな龍が住んでいました。この龍は、人の話し声や歌声が大好きで、夜な夜な、岸辺に近寄って来ては聞き耳を立てていました。しかし、人に姿を見られることを恐れて、静かに水の中をはい回っていましたと。

 池の近くに一軒の農家がありました。この家にはそれは身なりの美しいひとりの娘がいたそうです。どうしたわけか娘は口数が少なく、だれひとり友達もなく、ただただ村の若者の話題になるだけで、その美しさだけが日に日に増していきました。

 そして、夜になると何かにひかれるように岸辺に立ち、月明りに自分の影を池に落としては櫛づけ、美しい声を水面に流しました。この声につられて、龍は水音も立てず気づかれぬように聞きほれていましたと。

 このような日々が過ぎ、娘は人目をしのんでは岸辺に立ち、うたいつづけました。

 しかし、龍が歌に聞きほれ、しのびよることなど少しも気づきませんでしたと。

 ところが或る夜のことです。どうしたはずみか、娘は足をすべらせ、着物をぬらしてしまいました。

 龍はその水音におどろき、姿を水面に現わしてしまいましたと。

「見られてしまったおのが姿。」

 その思ったのか、龍は今までとはうって変わり、あらあらしく、娘のそばに近より、目と目をじっとあわせましたと。

 小半時が過ぎ、龍はなおもじりじりと近づき、ぐっと背を向けたかと思うと、その一瞬、娘を背に乗せ、静々と沼の底に身をかくしてしまいました。

 その夜も遅くなって、娘のいなくなったことに気づいた家の者は村人に頼み、四方八方を探しました。しかし、何の手がかりもありません。その時ひとりの若者が、「いつだったか、あの池で娘の歌声を聞いたことがある。きっとあそこだ、そうだそうだ。」と、言うが早いか、一目散に水辺の方へかけ出しました。

―(中略)―

「落っこったんだ、やっぱり落っこったんだ。」

「死んでしまったんだよう。」

 と、力なくなった声は、小さなこだまとなってあたりに散りました。

「美しい娘だったになぁ。」…………

 岸にひきよせられたぞうりは、しずくをたらしながら胸に抱えられ、村人の涙と共に娘の家に運ばれました。

 娘が沈んで数日がたちました。

 青々と輝いていた空が、にわかに曇り、ものすごい稲妻とともに、大雨がどっと降り始めました。みるみるうちに岸辺の草も木も水の中に消えてしまいました。しかし、雨は止む気配もなく降り続きました。とうとう丘を越え、どっと室川に流れ込みました。

 この時です。ものすごい水音とともに雷が落ち、龍が水面に立ち上がりました。どうでしょう。その背には、あの娘が乗り、ゆらゆらゆられながら室川の方に下っていきましたと。

 こうして龍が下っていく時に、その尾がふれたところが、今の尾尻部落だと伝えられています。

※出典/『丹沢山麓 秦野の民話』から「龍と娘」岩田達治(昭和51年)

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