被災者が語る あの人その後 VOL.5 防災講演会より
避難所では着の身着のままで、プライバシーも隣との間仕切りもない状態での生活を余儀なくされていました。お風呂も一人15分のシャワーで済ませていました。私はシャワー室に湯船を持ち込み、湯船に入れてあげたいと考え、知り合いに頼むと、翌日には「浴槽を使ってくれ」と申し出がありました。避難所の担当者に申し出ると、設置できない理由を並べては断られてしまいました。人の入った浴槽に誰が入るのかとか、排水をどこに捨てるのかなど話になりませんでした。
皮肉なことに浴槽の提供を申し出てくれたのは名取市の職員でした。
避難所の人々は次第に髪も伸びてきていましたので、家内の実家の隣の床屋さんに髪を切ってもらいに行った時に、「避難所の人たちにボランティアで髪を切ってくれないか」と相談すると快く引き受けてくれました。数をこなすため、ひげは剃りませんが、皆すがすがしい気分になりました。避難所での話題は、「仮設住宅に入るとき知らない者同士が一緒に生活するようになるのか」「今まで住んでいたところには家を建てられるのか」「土地は買い上げられるのか」「代替地はもらえるのか」など心配は尽きませんでした。私は皆さんの話の聞き役に回り、一つひとつ解決していく方法を考えました。毎日避難所で出された心配事を行政側に申し出ることにしたのです。新聞では連日仮設入居の報道がなされ、抽選による入居が報じられていました。「バラバラになって人との付き合いが大変」と書かれていたので、仮設に入居する時は必ず震災前の隣組と隣り合わせになるように要請するとともに、市長にも直訴してきました。しかし行政側は「任せてください」と具体的な話はありませんでした。そんなある日、閖上復興に向けた話し合いの場に出席してくれと要請がありました。市の復興計画も全く示されておらず、市民が立ち上がったという感じでした。1回目の会合が4月28日に開催され、会の名が「どうする閖上」に決定しました。それから毎週会議を重ね「新・閖上のためのトリプルビジョン構想」が完成しました(学校・住居、商業、公園とスポーツ、漁業)。この構想はあくまでも終点ではなく、一つのきっかけで、このようなことで「新閖上」を創っていきたいと考えています。新しい閖上の未来図が完成しました。9月の議会で都市計画による換地の復興計画と公営集合住宅建設、一戸建て、払い下げ住宅の建設が可決されました。10月からは閖上復興だよりを発行、復興まで続けて参ります。
【最終回】
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