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公開日:2013.05.02

変わりゆく「たまプラ南口」
半世紀で農村から都市へ

  • たまプラーザ駅開業当時(昭和41年)と現在の姿。北口から南口を望む/写真上は飯島一世さん撮影

 たまプラーザ駅南口に東急電鉄(株)による商業施設「たまプラーザ テラス リンクプラザ」が開業し、南口に新たな「顔」が加わった。たまプラーザ駅の誕生から約半世紀。かつて駅南口は、見渡す限り水田が広がる農村地帯だったが、今では都市へと変貌を遂げた。たまプラーザ南口の街の移ろいを振り返る。



見渡す限りの田園風景



 「とにかく何もない。水田が広がっていた静かな地域でした」と新石川で生まれ育った住民(64)は昔の姿を振り返る。現在の北側の美しが丘地区にはまだ住人がほとんどいなかったが、南口は丘陵地帯。農家を営む多くの地権者がいた。



 戦時中、現在の國學院大學たまプラーザキャンパス運動場は、射撃練習場として活用された。段差のある、縦に長い運動場はその名残だ。その後、60年代、東急電鉄(株)による元石川地区の開発が始まる。町名は旧町名「元石川」を残し「新石川」に。66年に駅が開業したが、「道はまだ舗装されていなかった。駅には長靴から通勤用革靴に履き替えられる下駄箱があった。懐かしい思い出です」と住民。開発とともにやがて市内屈指の高級住宅街として発展した。



憧れの街として人気に



 83年放映のテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」で、さらに「憧れの街」に。田園都市線で都内にも出やすいうえに、緑も多く残された地域であることから「子育てしやすい街」として、若いファミリーが多く移り住んできた。住みたい街ランキングでは上位に。人口も増え、88年には新石川小学校が開校した。



次世代につながる街へ



 82年に東急百貨店が開店。2010年に駅周辺開発事業による商業施設「たまプラーザ テラス」がグランドオープン。今春は「リンクプラザ」が開業した。



 かつて、結婚や子育てを機にたまプラーザに移り住んだ住民も今や60代、70代となり、高齢化を迎えている。独立した子どもやその孫が、遊びに来る「成熟した街」となった。



 一方、たまプラーザ駅周辺は6歳未満の人口が、14・5%と区内平均13・8%を上回る(11年3月現在)「子育ての街」でもある。今回開業した「リンクプラザ」には医療、保育施設を重点整備。隣接地には、シニア世代の駅近への住み替えを提案した、東急初となる定期借地権付マンションが建設された。再開発で若い世代を呼び寄せ、「次世代につながるたまプラーザ」の街づくりが行われている。

 

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