青葉区 社会
公開日:2026.08.13
父から引き継ぐ花と慈愛 黒須田在住 志村善一さん(86)
黒須田の「志村芍薬園」を営む志村善一さん(86)は、昭和初期に父親が始めた栽培の地を守り、今も精力的に花々を世話している。
戦中は、国から食料生産を優先するよう命じられ、父は花畑のほんの一部だけを残して農作物に切り替えた。終戦後、わずかに残した株から再出発を果たした同園を現在まで引き継いでいる。
幼少期は第二次世界大戦の渦中にあった。当時6歳だった心に何より強く残っているのは、空襲警報が鳴り響く光景。4世帯が入る近所の防空壕に身を寄せた。「自分より小さい子が大泣きしていた」と記憶を辿る。
近隣の鉄地区の空には火の手が上がっていたという。「現在の『こどもの国』にあった弾薬庫が標的だったと言われている。気流の影響で上空から特定しにくく、その周辺へ焼夷弾が落とされたと教わった」と話す。
防空壕に入らない
自宅に焼夷弾が落ちたらすぐ消し止められるよう、父親は防空壕へ避難しなかった。母親や3人の姉、祖母と壕内にいたが、父親が傍におらず心細い時間を過ごした。当時54歳だった父は、終戦直前に召集されたが、出征の前に終戦を迎えた。
敗戦が伝えられた8月15日には、鉄小学校で青年団の素人演芸が予定されていた。「向かう途中で中止となってしまった。楽しみにしていたので、日本が負けたということより寂しさが幼心に残った」と語る。
貧しかった農村
農村の暮らしは、決して裕福ではなかった。耕作面積に応じて米や芋などの供出を求められ、上質な作物は住むエリアより都会へ運ばれた。不足分は近隣の農家から借りて補い、手元に残る小ぶりな作物を食べた。「農家は食べ物に不自由しないと思われがちだが、ひもじかった」と明かす。
妻を難病で亡くして以降、青葉区社会福祉協議会や横浜市などへの寄付を続けている。「人は幸せを感じられないと他者を遠ざけてしまう。周囲が満たされていてこそ、自分も幸福になれる。他者を思いやる姿勢は父親から学んだもの。その心が広がれば争いも防げるはず。戦争なんてするもんじゃない」と力を込めた。
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