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公開日:2026.01.22
元競輪選手渡邉辰夫さん
妻の腎臓「預かり」生きる
2度目の移植経て復帰
「妻の腎臓を自分が『預かっている』という意識。だからこそ、いい加減な食生活なんてしない、という気持ちになる」。北八朔町在住の元競輪選手・渡邉辰夫さん(61)が、自身の腹部に付いた新たな手術痕を、服の上からそっとなでた。相模原市内にある大学病院で、夫婦間での生体腎移植に臨んだのは昨年9月24日。妻から譲り受けた腎臓は、自転車修理の仕事に復帰した渡邉さんの命を大切につなぎ留めている。
栄光の陰に忍び寄る病魔
競輪選手として、渡邉さんがデビュー戦に臨んだのは20歳の頃。全身で風を切る力強い疾走で、わずか3日目にして初勝利を収めたほか、2002年の引退までに通算12回優勝の栄冠に輝いた。
ただ栄光の陰で、その体内では無慈悲にも腎臓の病が進行していた。引退を余儀なくされた渡邉さん。失意の中、闘病生活に苦しむ我が子を救おうと02年、父・義博さんがドナーとなり、生体腎移植が実施された。
以後、体内に3つの腎臓を持つ状態で20年以上にわたり生活を続けた。ただ、移植された腎臓が次第に「悪くなっていった」ため、看護師として働く妻・佐智子さん(59)の協力の下、夫婦間での生体腎移植に向け、準備を進めた。
感謝を胸に
渡邉さんは昨年9月9日、同病院に入院。抗がん剤治療や人工透析などを受け、迎えた9月24日、自身2度目となる生体腎移植手術に臨んだ。
渡邉さんによると、手術が始まったのは午前8時30分頃。麻酔で「パチン、と意識が無くなった」。気付くと移植は終わっていて「目を覚ましたら夕方になっていた」。麻酔の影響でしばらくの間、景色は「水の中で目を開けたような感じ」だったという。
「術後3日間は耐え難い痛みが続いた。全身あぶら汗。丸2日は眠れなかった」と入院生活を振り返る。佐智子さんと再会できたのは術後3、4日後。病室を訪れた「命の恩人」に「ありがとう」と伝えた渡邉さん。心の底から感謝の思いが溢れた。
佐智子さんは移植手術前後の心境について「手術前は、透析を続けるのはとても辛い生活となるので、移植手術が可能なら『少しでも笑顔で人生を送ってほしい』という思いのみでした。術後すぐは、ただひたすらに『夫に拒絶反応が起きていないか?』『移植した腎臓が働き、尿が出ているか?』の思いしかありませんでした」と振り返る。また「(自身の)片腎のリスクに対する不安は多少ありますが、今は仕事にも復帰し、元気で落ち着いています。病院の指導を受けながら、残った腎臓を大切に、生活に気を付けて過ごしていきたいと思っています。同じ病、移植医療に対する不安がある方のお力に少しでもなれたらという思いです」とした。
「退院、記録的に早い」
渡邉さんの退院は当初、昨年10月いっぱいという見立てだったものの、目覚ましい回復を見せ10月10日に前倒し。医師から「記録的に早い」と言われるほどだった。退院後「およそ1カ月振りに自宅に戻ったとき、うれしかった。すごく体が軽かった」。
北八朔町で自転車修理店「タオサイクル」を運営している渡邉さん。仕事に復帰し、同店のチラシを「歩きながら1日300枚くらい近所にポスティングした」と笑う。
年が明け、2026年1月8日に検査入院し、翌9日に退院。13日午後には、自宅でタウンニュース緑区編集室からの取材に応じた。インタビューの最中、「きょうも朝8時から自転車修理の仕事をしていたよ」。はつらつとした声で話していた。2月からは都筑区内と川崎市内のグループホームでの勤務も始めるのだという。
チャンス増やして
2度の生体腎移植手術を経て、4つの腎臓を体内に持つ渡邉さん。いま胸に深く宿るのは「この経験を人の役に立てたい」という願いだ。「誰にとっても自分の体を労わることが大切。定期的に健診を受けてほしい」
また、ドナーを心待ちにしている患者たちを思い「生体腎移植ができるチャンスがもっと増えてほしい」と語った。
- 関連リンク
- 昨年の渡邉さんを取材した記事はこちら
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