区内を中心に「どじょうすくい」の踊りを100回以上披露してきた 小泉 行正さん 北山田在住 80歳
世界救う、どじょうすくい
○…「人生は笑いと感謝と思いやり」。この言葉を胸に活動を続け10年以上が経った。島根県に伝わる「安来節」の伝統を守りつつ、タンゴやワルツを取り入れた「横浜どじょう踊りの会」を8年前に発足。区内の老人ホームや地区センターで踊り続ける日々、今月も東山田と新栄地区で地域住民に笑いを配達する。母親が16年過ごした福祉施設に「恩返しをしたい」
○…終戦の10年前、東京の芝で生まれた。父親は工業用時計を作っていたが「空襲で仕事が無くなった」。小学3年生の頃、路頭に迷った家族は開拓団として北海道に移住。「飯と仕事はあるって聞いてたが…」。現実は甘くなかった。ランプ生活に加え、冬はマイナス30度の世界に「寒いじゃなくて、痛い。吹雪で息ができなかった」。家族総出で荒地を開拓し、ジャガイモやカボチャを収穫した。「中学校へは片道4Km、手伝いが嫌な時はゆっくり休んで帰った」。自身の苦労話も明るく笑い飛ばす。
○…高校卒業と同時に川崎市の叔父の家に居候。様々な仕事を経験し税務会計事務所に就職した。顧問先を増やす営業に従事。数十社しかなかった取引先を125社、新規開拓した。「社長の相談相手になり、時には飲んだり、一緒に遊んだりしただけ」と謙遜する。あらゆる業種の人と出会い、カラオケやテニスなど趣味を広げた。どじょうすくいとの出会いは旅行で行った島根の玉造温泉。「指導者と踊ったけど、褒められて楽しかった」。以来、どじょう踊りの教室に通い、「三段」の資格を取得した。
○…秋ですね。美術の秋、食欲の秋、スポーツの秋…、八代亜紀―。「つかみで反応を見る」。場の雰囲気で話す内容を変えていく、まさに芸人のようだ。ある施設で「今まで笑顔を見せなかったおじいちゃんが笑った」と講演後に伝えられた。「嬉しかったね。どじょうすくいは人の心も世界も救う」。今日も誰かの心に笑顔の火を灯す。
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