東日本大震災から9年。原発事故後の福島を記録し続け、現在、青葉区の飲食店で写真展を開催中の写真家、中筋純さん(53)=写真=にインタビューを行った。復興は進んだのか、移り変わる風景から見えてくる福島の今を語ってもらった。
変わりゆくまちの風景
「9年という時が経つ中で顕著なのは地域がバラバラになってしまったこと。いまだに不安の残る放射能への恐れ、賠償問題、帰還の選択など、それまで同じ地域で暮らしていた人々が分断され、相違が生まれ、この問題を話し合うことがタブーのようになってしまっていると感じる」
国内外の産業遺構や廃墟を撮り続けてきた中筋さん。その一環で2007年にチェルノブイリに訪れた時、街が突然消えたかのような風景に衝撃を受けた。チェルノブイリを撮影する最中に起きた福島原発事故。翌年に初めて福島の浪江町に入った時は「街全体が神隠しにあったかのような静けさ。チェルノブイリと同じだった。飲食店には料理の器が並んでいるのに誰もいない。聞こえるのは風の音だけだった」と振り返る。事故直後の混乱した現場を撮るのではなく、「同じ場所を5年、10年と記録し続けることに必ず意味がある」と定点観測のような撮影を続けてきた。その中には、1番賑わっていた商店街が取り壊されていく様子や、除染や工事で車両が通り過ぎゆく街の片隅に9年前で時が止まったまま残る風景などが記録されている。
これからも撮影を
撮影を続けながら福島の人々とも語り合ってきた中筋さん。「避難指示が解除されても戻ってくる人の多くは高齢者。『安全とは思っていない。昔の街にはもう戻れないし、若い人もいない。先祖からの墓に入るために帰ってきたんだ』と話す人がいた。故郷がそんな場所になってしまうなんて、これほど悲しいことはないよね」。新しい土地での暮らしも長くなり、帰還するかの判断も難しい。「原発事故は人々に様々な選択を強制する。しかも突然に。分断された人々の生活や街がどうなっていくのか、これからも記録し続けていきたい」
写真展は「ウチルカ」(青葉区鴨志田町561の1)で13日(金)まで。
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