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公開日:2026.08.13

「光」と「音」の恐怖 二の丸 藤原サツキさん(85)

  • 「光」と「音」の恐怖 (写真1)

 熊本県八代市出身で二の丸在住の藤原サツキさん(85)は、終戦時まだ4歳。幸いにも戦火に見舞われた記憶はない。ただ真っ暗な防空壕の中で見た懐中時計の青白い光と大人が外を覗こうと壕の扉を開けた時に屋根スレスレに飛んでいるように見えた戦闘機の「ゴウゴウ」という轟音は80年以上たった今でも「怖かった」記憶として脳裏に焼き付いている。実は父も戦地に赴いているが、サツキさんは覚えていない。父が戦地で使っていたかばんの中に入っていた乾パンをもらった記憶が、父と戦争を結びつける数少ない接点だ。

 佐世保市(長崎県)に住んでいた父の妹家族が、終戦直前の大空襲で住む家を焼かれ、実家を頼って、熊本へ逃げ延びてきた。追い返そうとする父をとりなし、元々あった小屋に住まわせ、面倒を見たのが母だった。多い時には親戚4軒が身を寄せていた時期もあり、その世話のほとんどを母がしていたという。「意志が強く、愚痴もこぼさず、人に優しく、悪口を言わない。苦労はしていたと思うがそんな素振りは見せなかった」と母の姿を思い起こす。「子どもだったので母の苦労は分からなかった。自分が家庭を持って、母親になってその偉大さが分かった」と懐かしそうに微笑した。

不戦誓う「貧しさ」の記憶

 戦後は「皆、貧しかった」。小学2年生の頃まで藁草履を履き、4年生頃までイグサで編んだ手提げかばんを持っていた覚えがあるという。「近所の高齢者が手仕事で作ってくれたのだと思う」と振り返る。当時はクラスに1、2人は中学校に進学できない子がおり、自身も「女の子だから」との理由で高校進学を断念している。

 実家には畑があったので、食べ物に困ることは少なかったが、サツマイモはおやつにもおかずにも、白米や麦飯のかさを増やすためにも入っていた。「当時食べ過ぎて今はあまり食べたいと思わない」と苦笑い。大人や兄姉らと一緒に1時間ほど歩いて八代海まで出て「貝拾い」に興じるのも楽しみで、ハマグリやアサリ、海にそそぐ川で獲ったシジミやタニシが食卓に並んだ。

 戦後、何年も経ってから、長崎の被爆者で全身に大やけどを負った谷口稜曄(すみてる)さんのニュース映像を見て「ワッ」と恐怖で大声を上げてしまった。「この大けがでよくぞ生き残ることができたという思いと二度と戦争はだめ」との思いを強くした。戦後に困難な生活を強いられたのも戦争のため。「経験してみないと分からない。だからこそ今の人には覚えておいてほしい」

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