福島第一原発での水素爆発事故を機に、多くの周辺住民が避難生活を余儀なくされている。原発からおよそ25Kmに位置する南相馬市に住んでいた岡田さん一家も、4月から深谷町にある信子さん(48)の妹のマンションと、西横浜国際総合病院(汲沢町)が一時避難として無料で提供した職員寮に、身を寄せている。
原発事故は家族の生活を一変させた。自宅に損傷はなかったが、放射性物質漏れの危険性から、すぐに仙台市の親戚宅に避難。「少し経てば、事態が収まるのでは」。抱いた希望も空しく、被害は拡大する一方。自宅周辺に住む人は段々といなくなった。息子の佳士(けいし)君が通っていた原町高校(同市原町区)の再開の見通しが立たず、妹からの誘いもあったことから、戸塚区へ越すことを決めた。
佳士君はスポーツ推薦で同校に入学。所属する野球部は、昨年の秋には県ベスト4に入る実力で、佳士君は日々、練習に汗を流していた。帰宅が夜の10時になることもざらで、高校生活は野球一色。その最後を飾る3年の春と夏の大会の出場は、叶わなかった。
原町第一小学校の2年生だった娘のりさちゃんは、友達と遊ぶのが大好きだった。毎日、帰宅後には決まって外出し、近所の子と遊んでいた。だが今は、帰宅後に一人で過ごすことが増えた。仲良しの友達とは事故後、一度も会っていない。
家族離ればなれに
信子さんと佳士君が口を揃えるのは、「原発事故さえなければ」。「でも、どこに何を言っていいのかも…」と、その思いのやり場がない。生計を立てるために福島に残った夫の修一さん(48)とも、離ればなれの生活が続く。
佳士君は事故後、少したくましくなった。元々、関東の大学へ進学する意向で、「こっちで、一人でどれだけやれるか試したい」。金井高校(栄区)に通いながら、受験勉強に励むつもりだ。最近、野球部に入り、友達もできた。友達がおらず、「帰りたい」と話していたりさちゃんは、今は不満を口にしなくなった。「この子なりに、当分は戻れないことを理解しているんでしょう」
先の見通しは立たないが、信子さんはりさちゃんを連れて福島へ帰りたいと話す。「今を振り返って、ああ、あんなこともあったなと思えるようになれば」。目じりをぬぐい、微笑んだ。
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