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謹賀新年 100年の礎を未来へ 株式会社 長野工務店
1914年4月に創業し、100周年を迎えた株式会社長野工務店(小雀町・長野真行代表取締役)。創業以来、小雀町を拠点として一世紀に渡り、横浜市内の橋や道路などのインフラ工事に携わってきた。
5代目の長野真行代表取締役は「今日の当社があるのも地元の皆様のご愛顧とご期待に応えるべく事業に邁進してきた賜物。このことを消して忘れず、地元への感謝の気持ちを持ち続け、地域への貢献に励みたい」と意気込む。
「温故知新」歴史と未来
一世紀前に同社の前身である長野組を立ち上げたのは、長野社長の曽祖父である福治氏。当時はまだ舗装されていなかった国道の砂利道の補修依頼(役所からの命令書が届いたという)から始まり、その後、神奈川県や横浜市の請負業者として道路・河川・橋梁へと仕事が広がっていった。
1927年には、戸塚駅南方にある柏尾川の高嶋橋の架け替え工事も担当した=写真左。太平洋戦争終戦後は復興期の建設需要に合わせ、建築工事も手掛けた時もあった。横浜新道や藤沢バイパスのほか、市の下水道整備などにも携わってきた。
永年、事業スタイルを一貫してきた同社だが、5代目はインフラが一通り整備されたことを見据え、新たな取組みを進めている。民間の宅地造成工事や駐車場新設などに加え、太陽光パネルによる新エネルギーの活用もスタートした。
「先義後利」地域への感謝
一方で、同社は地域貢献にも力を入れている。昨年3月には、「横浜型地域貢献企業」として最上位認定された。
月に4回、同社周辺の公道を全社員28人で1時間かけて清掃。9月に行われる地域の祭りでは、同社の敷地を神輿の休憩所として開放。子どもたちに飲み物や菓子を振る舞うなどしている。また、雪の時季には、社屋裏手にある病院も含めた近隣地域の雪かきも行う。「重機があるので、近隣の方に『ちょっとこっちもお願い』と頼まれることもありますね」
災害派遣にも参加している同社。2011年に発生した東日本大震災の被災地にも横浜市第三次復旧隊として水道復旧工事にあたった。「阪神淡路大震災、新潟県中越地震時の経験もあったことから、市から依頼が来た。放射性物質などの問題もあったが、6人の社員が使命感を持ち、参加を決意してくれた」と長野社長は振り返る。
「温故知新」「先義後利」は長野社長の座右の銘。これまでの歴史と伝統を振り返ることで先の道を発見し、道義を優先することで自ずと結果は付いてくる。「当社の伝統である信義と信用を重んじることを第一に、地域への感謝と貢献を忘れることなく、地域とともに発展していけたら」
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