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公開日:2021.12.23
小雀町出羽さん
父の「抑留日記」 一冊に
戦中に「敵国人」として拘束
小雀町在住の出羽仁さん(69)が12月25日、父シディングハム・イーンド・デュアさんが太平洋戦時下の抑留中に書いた日記「英国人青年の抑留日記」を論創社から出版する。2年間に及んだ内山抑留所(南足柄市)での過酷な生活などがつづられている。
シディングハムさんは、英国人と日本人のハーフの父と、日本人の母の間に生まれたクウォーター。当時の日本は今のように自由に国籍を選ぶことができず、シディングハムさんは日本で生まれ育っているが英国籍だった。
開戦と同時に監視下に
1941年12月8日、日本はハワイ真珠湾を攻撃。この日のうちに連合国である英国籍のシディングハムさんと父親のウィリアムさんは「敵国人」として当時の警察特高課に拘束される。
2人は中区にあった収容所を経て、1943年に内山抑留所へ。高台にある同所は冬季は室内が氷点下になるほどの寒さだったが暖房はなく、抑留者は山での薪集めを課されていた。こうした過酷な状況から、シディングハムさんは内に秘める思いを日記に書きつづり始めたと思われる。
「日本が好きなのに」
シディングハムさんを悩ませたのは、生まれ育った日本への強い思いだった。拘束された当時、22歳だったシディングハムさんは小雀町に在住し、医学を志す大学生だった。しかし、敵国の国籍だったため、拘束されることに。そのため、日記には「日本は僕を敵視しているが、僕はあくまでも日本は好きだ…」と記される。
日記は終戦から一カ月過ぎ、大学に復学手続きをしたところで終わっている。その後、シディングハムさんは大学を卒業し、31歳で医師免許を取得。親戚の勧めで当時日本が遅れていた形成外科・美容整形の分野に進み、戦場で重症を負った人や空襲で火傷した人の手術を続けた。2人の子宝にも恵まれ、1973年には日本国籍を取得。「出羽誠司」さんとして再出発。67歳まで医師としてメスを握り続け、70歳で人生の幕を閉じた。
シディングハムさんの死から10年経ったころ、日記を見返した出羽さんの叔父や妹が話合い、シディングハムさんの経験を後世に残そうと発行の準備を進めてきた。その間に、外国人抑留の研究者や出版社との縁もあり、開戦から80年が経ったタイミングで発行が実現した。「抑留の資料は少ないようで、多くの人からの協力があり、家族も予想していなかった形での発行ができました。進みゆく国際社会を改めて見つめ直すきっかけにしてもらえたら」と出羽さんは話す。
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