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戸塚区・泉区 コラム

公開日:2025.07.10

第117話 〜江戸から近代へ:東海道から国道へ〜
とつか歴史探訪

  • かつての「開かずの踏切」

  • 「とつか地下道・アンダーパス」

 江戸時代から戸塚の町を縦断する大動脈としての東海道は、どのように整備されていったのでしょうか。

 東海道は、明治9(1876)年太政官通達により国道と定められ、その後昭和27(1952)年には一級国道一号に、昭和40(1965)年には級の区別がなくなり「一般国道1号」となります。

 保土ケ谷から境木までの旧権太坂は、70mを超える急な上りで、その後は焼き餅坂〜品濃坂と一気に下り、しかも粘土質で滑りやすく最大の難所でした。

 県は旧権太坂南東の山裾を迂回し、今の国道一号線東戸塚入り口に至る新たな道を計画、明治17(1884)年に開通し平戸新道と呼ばれました。現在、箱根駅伝で権太坂と呼ばれているルートになります。

 更に、関東大震災の復興もあり、昭和6〜7(1931〜32)年に掛け保土ケ谷〜原宿間などの大規模な改修工事を行いました。特に、大坂上〜原宿に至る道路は中央に松並木を残し2車線とした環境に配慮したモデルとして賞賛をあびました。(今は大規模事業で全ての木々が伐採されてしまっています)

 この間に、不動坂〜今の五太夫橋のある舞岡入り口までは迂回した道となっていたため、昭和6年に直線になる現在の姿に変更をしています。

 その後、昭和30(1955)年通称「ワンマン道路」が開通し、現在はこちらが国道1号線となっています。平成27(2015)年には大踏切の立体化工事などを経て、東海道に関わる工事は概ね完了し今に至ります。

 ただ便利になった反面、権太坂〜品濃坂・舞岡辺りの迂回路を除けば貴重な歴史財産史跡が失われたことも事実です。

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