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戸塚区・泉区 コラム

公開日:2025.08.21

第118話 〜江戸から近代へ:消えていった一里塚〜
とつか歴史探訪

  • 45.8km地点・里程標汲沢町二丁目歩道橋付近

  • 吉田一里塚跡

 江戸時代に一里塚は、一里(約4km)ごとに街道の両脇に設けられ、旅人の歩く距離や人足の駄賃の目安として、又松や榎が植えられていたことから休息の場として利用されました。

 戸塚区内の一里塚は品濃・吉田元町・原宿吹上の三ヶ所にありました。ただし当然のことでしょうが、今では町中で見かけることはありません。無くなったのには、大きく二つの理由が考えられます。

 一つ目は、大動脈である東海道は、多くの道路が国道一号線に取って代わり、道路の整備・拡張の際に取り払われていったことです。ただこの難から逃れられたのが、品濃一里塚でほぼ原型を留め県の指定文化財となっています。これは大変珍しく貴重で、国道一号線がこの辺りの急坂を避けて敷かれたことによります。

 二つ目は、距離を示す里程標が設けられたことで、お役御免となったことです。原宿吹上一里塚にかつては古い看板があり「明治9(1876)年10月に里程標の杭をたてるとき、一里塚は事実上不要となったので取り払われてしまい、一里山の名を残してその位置をしめしているのが現在地である」と、ありました。

 吉田元町の一里塚には「吉田の一里塚は明治に入りずいぶん早い時期に取り壊されてしまったようです」と、書いてあります。これも里程標を指していると思われます。

 この里程標は普段余り気がつきませんが、国道一号線を歩く際に注意してみると足元のところどころに設置されていますが、道路整備で無くなりつつもあります。

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