21年にわたり本牧で暮らし数多くの作品を世に送り出した文豪・山本周五郎を顕彰する記念板がこのほど、中区三之谷交番前交差点近くに建立された。3月14日には親族をはじめ関係者らが集まり、除幕式が行われた。
式典に参列した山本周五郎の孫の妻で、現在も本牧元町に住む松野由紀子さんは「若い方々は山本の作品を知らない人が多い。皆さんに山本を知ってもらうきっかけになれば」と話していた。
20年にわたり居住
山本周五郎(本名、清水三十六)は、1946(昭和21)年から67(昭和42)年まで、63歳で亡くなるまで本牧で暮らした。日本を代表する時代小説家の一人であり、『柳橋物語』や『樅ノ木は残った』『赤ひげ診療譚』『さぶ』など数多くの有名作品で知られる。また、直木賞を辞退したただ一人の作家。
出身は山梨県。小学生の頃は、現在の西区の藤棚商店街近くにある願成寺のそばで暮らした。西前小学校3年生の時に、担任から「君は小説家になれ」と言われたことが作家を志すきっかけになったという。
その後は東京の京橋や千葉の浦安、鎌倉の腰越、また東京の馬込と移り住んだ。
本牧へは出版社の経営者で著名な装丁家の秋朱之介(本名、西谷操)らの紹介もあり転居。当初は秋邸の離れを仕事場とし、のちに旅館・間門園の一室を借りて執筆に精を出した。
足跡なしに憂い
日本を代表する文豪が20年にわたり居住していたにも関わらず、本牧にはその記念碑などがなかった。
秋の娘で、自宅の離れで仕事をしていた山本を知る大久保文香さん=本牧三之谷在住=は、一年半ほど前に「足跡が全く残っていない」として、地域の知り合いに働きかけた。昨年末、地域のまちづくり団体が中区から受けていた助成金が活用できることになり、一気に記念板設置の計画が進んだ。本牧・根岸地区連合町内会の丹羽博利会長は「記念板は散歩コースの道しるべとして生きてくる」と話した。
除幕式であいさつした中区の直井ユカリ区長は「日本を代表する文豪が本牧に住んでいたことをもっと知ってもらいたい」と期待する。
山本の妻・きんさんの形見である留袖を仕立て直した洋服を着て除幕式に参列した大久保さんは、「出番がやっときたわ」と嬉しそうに話していた。
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