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公開日:2026.03.05

本牧 気まぐれ歴史散歩 96
桜大線(おうだいせん)と根岸線

  • 横浜駅でスイッチバックする汽車/新撰横浜全図部分明治26年(1893年)

    横浜駅でスイッチバックする汽車/新撰横浜全図部分明治26年(1893年)

 江戸から外国人を遠ざけるために横浜を開港場にしたにも拘わらず、横浜が生糸貿易で急成長したため、幕府は江戸から横浜まで最短・最速で輸送能力も高い鉄道の敷設を目指しました。鉄道敷設は明治政府が引き継ぎましたが、明治政府も戊辰戦争や西南戦争で財政難となり、横浜から先には延伸できませんでした。東海道線は明治22年(1889年)に東京から大阪まで開通しましたが、当初敷設ルートには横浜からそのまま北鎌倉・大船へ路線を延伸し大阪へ向かう案もありました。しかし、結果的には横浜で機関車を反転してスイッチバックをして大阪へ向かうルートが採用されました。

 大正11年(1922年)になると、横浜駅から桜木町駅となった駅から北鎌倉経由で大船から東海道線に乗り換えできる、いわゆる桜大線ルートが計画されました。ただこのルートも大岡川沿いを通る案や保土ケ谷・戸塚に戻る案、根岸競馬場を通り磯子・杉田を経由する案などが浮上し、結果的には戦争により敷設できませんでした。

 桜大線は、本牧地先や根岸湾が埋め立てられ、用地買収の必要が無い土地が確保できたことで、昭和39年(1964年)に磯子駅までが開通しました。その後、山林開発や米軍接収地の返還により、根岸線は昭和48年(1973年)に大船まで開通しました。

 根岸駅まで歩いてきました。昭和30年代まで海だった場所から崖を眺めています。(文/横浜市八聖殿館長 相澤竜次)

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