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公開日:2026.05.14
本牧 気まぐれ歴史散歩 98 堀割川の掘削工事
横浜が開港場となり、外国との貿易が盛んになると、関内地区は急速に都市として発展し、横浜の人口が急増しました。生活物資などを運搬する小船も増え続け、国際港に停泊する貿易船や客船の間を縫うようにして、盛んに航行するようになりました。このため、関内地区の再整備と内陸部の開発の一環で、国際港を抜けることなくショートカットで根岸湾から横浜の町中まで船が航行できる運河を建設することになりました。
神奈川県は、吉田新田の沼地を運河掘削により発生する残土で埋めて出来た土地の所有権を、埋めた者に認めるとの条件で事業者を募りました。しかし、沼も新田も吉田新田を開発した吉田家が所有する土地でした。吉田家は神奈川県に抗議しましたが、聞き入れられませんでした。外国商社が興味を示していたことから、吉田家は「吉田方会所」を設立し、外国商社からの出資も受けて、自ら事業を請け負わざるを得なくなりました。ところが掘削ルートには40m近い高さの尾根もあり、掘削地の買収や工事中に発生した災害補償なども吉田方会所が行うという過酷なものでした。出資していた外国商社も神奈川県の責任問題として抗議し、神奈川県から出資金の回収を図りました。難工事となった掘削工事は明治7年(1873年)に完成し、堀割川となりました。
堀割川の河口に着きました。堀割川沿岸を上流に向かって歩いていきます。(文/横浜市八聖殿前館長 相澤竜次)
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