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公開日:2026.04.09
本牧 気まぐれ歴史散歩 97 根岸療養院から根岸日赤病院へ
結核は、昭和19(1944)年にストレプトマイシンが発見されるまで効果的な治療方法がありませんでした。明治9(1876)年に来日し、日本の近代医学の父と呼ばれたドイツ人医師ベルツも、結核治療は「良い空気の中で安静にし、栄養をとって海水浴で身体を癒す」自然療法を推奨していました。
本牧や根岸の海岸は、大磯や館山・須磨の海岸と並び称されるほど、風光明媚で空気も澄んでいて、気候も温暖で海水浴にも適している遠浅の海でした。そのため、本牧や根岸の海岸では、結核治療のため療養する人も多かったようです。渋沢栄一と一緒にパリ万博に行き、日本の美術品を海外に紹介した生島孫太郎も晩年は本牧で過ごしました。
明治31(1898)年から日本赤十字社社員となり、明治33(1900)年から神奈川県監獄医務所長を務めた大村民蔵は、北里柴三郎から伝染病学を学んだことから、明治45(1912)年に私費を投じて根岸療養院を開設し結核患者を受け入れました。現在の根岸駅の向かいにあり、敷地2500坪・9棟の病棟に100人の患者を収容できる大きな病院でした。
関東大震災が発生すると、大村は日本赤十字社に病棟を提供し、自らも罹災者救援に奔走しました。この根岸療養院がのちの根岸日赤病院、現在のみなと赤十字病院となりました。
(文/横浜市八聖殿前館長 相澤竜次)
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