保土ケ谷区 コラム
公開日:2026.09.24
日蓮宗樹源寺 権住職 日比(ヒビ)宣仁(センジン) 連載65 法話箋 〜鹿苑〜 「近世日本仏教の過渡期」
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)は、西洋化を謀(はか)る明治政府が明治元年(一八六八)三月二十八日に発令した「神仏分離令」に起因する措置の一つです。これに対し、日本仏教各宗派が大きな問題意識を持ったことは言うまでもないでしょう。欽明(きんめい)天皇治世(五三八)以来、日本人の心の拠り所となってきた仏教を廃そうとする明治政府の政策は、穏やかでないものと評せざるを得ません。しかし、慶長十七年(一六一二)以降の徳川家康によるキリスト教禁止(禁教令)や、寛永年間(一六三〇年代)の「寺(てら)請制度(うけせいど)」(檀家制度(だんかせいど))に甘んじた仏教僧の堕落に対する政府や民衆の反感も廃仏毀釈の一因であったことも否めません。目黒長泉院(ちょうせんいん)の普寂徳((ふじゃくとくもん)(一七〇七〜一七八一)はこうした僧侶の堕落を問題視し、西洋の科学的思考に順応して、仏教教理の理論的追求をしました。宗祖の言葉を大前提として信仰のあり方を探求する既存の学問に対し、普寂の理論的研究は明治以降の仏教の近代化に大きな影響を及ぼしました。
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