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公開日:2016.09.29

鶴見歯科医師会
幾多の苦難乗り越え100年
「和をもつ」精神でつながり

  • 1939年に行われた会旗入魂式(上・鶴歯会提供)と式典で挨拶する岩木会長

 区民の歯の健康増進に寄与する鶴見歯科医師会(岩木一晃会長・会員数115人)が、今年創立100周年を迎えた。鶴見周辺の「もぐりの歯科医」を追放しようと設立された前身団体から数え、100年の長きにわたり、歯科を通じた地域への奉仕活動などを展開してきた同会。岩木会長は、「震災、戦災、戦後の混乱など、未曾有の試練を乗り越えてきた諸先輩に感謝し、さらなる発展を目指したい」と意気込む。

もぐり追放で団結

 鶴歯会の始まりは、1916年(大正5年)、鶴見の歯科医3人を含む、川崎、蒲田の歯科医10人で設立された江南歯科医師会。

 鶴見、川崎の海岸150万坪が埋め立てられ、京浜工業地帯となった時代。爆発的な人口増加とともに、検定制度で不合格となった非歯科医、いわゆる「もぐり」が横行していた。

 江歯会は、「無資格診療所を追放するには、個人よりも団体として警察に告発した方がいい」という考えのもと組織された。

 同会にも参加し、1913年に鶴見で初となる歯科医院を開業した山崎直樹医師は、鶴歯会の会史1号で「とうじ我々の社会的地位が低いのは、非歯科医が向上の妨害をしているのである」と「もぐり」摘発の理由を記述。また、小学校で歯科衛生展覧会を開くなど、当時から地域奉仕活動に取り組んでいたことなどを明かしている。

3年の派閥紛争

 鶴見歯科医師会と名を変えたのは、横浜市に区制が敷かれた6年後の1933年。さらなる人口増加から、区内にも開業医が増え、会員36人での船出となった。

 会員数が50人を超えた4年後の37年には、意見の相違などを理由とした派閥紛争が勃発。神奈川県と横浜市の歯科医師会会長らも介入した一件は、和解までに3年を費やしたという。

鶴大歯学部に反対

 1968年〜75年にわたり繰り広げられた鶴見女子大学歯学部増設への反対闘争。68年、当時の鶴見女子大に歯学部増設・附属病院建設の計画が浮上。生活に影響が出るとして、鶴歯会は対策協議会を結成し反対運動を起こした。

 この間、鶴歯会は、運営母体となる大本山總持寺や大学側と交渉。全国の大学歯学部に陳情書を発送するなどして抗戦したが、69年、文部省から「関係書類が整えば認可せざるを得ない」という返答を受け、条件闘争へ方向転換した。相互協力に向け、和解のための覚書が結ばれたのは、それから6年後のことだった。

 当時を知る会員は「大きな事件だった」と振り返りつつ、「今大学はなくてはならない存在。地域の歯科のため、あの時協力体制を築いたからこそ」と話す。

地域全体を診る

 学校での歯科健診や地域ケアプラザでの相談事業などを行う同会。9月24日に開かれた記念式典・祝賀会では、征矢雅和鶴見区長ら多数の来賓が祝辞を述べ、「100年、地域の歯科診療を支えてきたことに敬意を表する」と口をそろえ、永年の功績を称えた。

 式典の中で、「和をもって尊しとなす」という一貫した精神で運営され続けた結果とし、先人たちに感謝した岩木会長。「災害時や地域包括ケアシステムなど、これからは、歯科医個人で患者を診るのでなく、地域全体で診ていく時代」と今後を見すえ、多職種と緊密に連携しながら、歯科医師会として地域に貢献していく考えを示していた。

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