第2次世界大戦中、武器生産の資源不足を補うための金属類回収令により、天台宗光明山遍照寺(へんじょうじ)(川崎区中島)から供出された半鐘が12月8日、同寺に戦後75年を経て返還された。半鐘は1711年に同寺に寄進されたもので、川崎市内に現存する梵鐘、半鐘のなかで最古のものとなる。
同寺の坂本圭司(けいし)住職(60)は「今年の春ごろ川崎市教育委員会から発見の連絡を受けた。供出されていたことも知らなかったのでびっくりした」と話す。「空襲でほとんどの建物は焼けてしまって戦前の物で残っているのはご本尊の阿弥陀如来立像だけだったので、よく残ってくれていたと思う」とも。
半鐘は高さ約64cm、最大径約37cm、重さ約30kg。静岡県富士市内の鉄工所、(有)稲岡工業で保管されていたもので、昨年8月に発見された。同社に厚木市由来の半鐘があったことから、同市の郷土博物館館長が調査をしていたところ「河崎」の地名が入ったものも見つかり川崎市に知らされた。
半鐘には「武州橘樹郡河崎領」の文字が刻まれており、川崎市のものであることは分かるが、村名や寺名などは一部が削り取られ判読が難しかった。市教育委員会による解読で、寺名に「光明山」が読み取れ「⻌」が使われていること、寄進された年「正徳元(1711)年」と当時の住職の名前「義珍」が一致することなどから遍照寺のものと特定した。文字が消されていたことについて坂本住職は「想像ですが、檀家信徒の思いのこもった半鐘を溶かすことにためらいを感じ、名前を消したのかもしれませんね」と思いを馳せた。
発見者の稲岡健敏さん(45)は「古いものなので無事に故郷にもどれてよかった」と語った。
半鐘は来年2月以降、市役所第3庁舎と川崎市平和館(中原区)で一般公開される予定。
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