町田市立博物館より㉚ 『少年漫画詩集』と田河水泡 学芸員 今井圭介
今回の展示で、田河さんの戦後の出版物のコーナーに小さな本がちょこんとある。縦15cm、横11cmほどの大きさで厚さは1cmにも満たない。ゾウやリスなどの動物をあしらった可愛い装幀の田河水泡著『少年漫画詩集』である。1947(昭和22)年11月、親戚が経営する冨岳本社から出されたものだ。
1945(昭和20)年春、太平洋戦争下で荻窪の自宅(当時)付近にも爆弾が落ちるようになったことから田河さんは東京を離れた。8月15日の終戦を告げる正午のラジオ放送は疎開先の信州で聴いた。東京に戻れたのは秋になってからだったが、疎開していたころから仕事が来なくなっていた。出版界では戦後になると新しい世代との入れ替わりもあって、「のらくろ」は古いという声が田河さんの耳にも聞こえてきていた。『少年漫画詩集』は仕事の依頼がない田河さんの不遇であったそんな時代に執筆されたものだった。
少年の頃、田河さんは詩人・有本芳水に傾倒した。少年の夢を歌った抒情的な詩は全国の少年の心を熱く揺さぶった。1914(大正3)年に出版された『有本詩集』は300版を重ねるほどの人気だった。田河さんもその詩情を注がれた。『少年漫画詩集』は少年に向け「雨上がり」「夢じゃない」など、36篇の詩と挿絵で編まれている。詩は荒んだ戦後にある少年たちへのメッセージであるとともに、不遇にある自身の境遇や心情、そして己を鼓舞する気持ちが歌われていると思うのは筆者の穿ちすぎだろうか。
詩集が出版された頃からは出版界もようやく復興し、「のらくろ」の執筆依頼も来るようになって本格的に田河さんの戦後の仕事が始まっていく。しかし、その後田河さんは詩の発表をされてなく『少年漫画詩集』は田河さん唯一の詩集となった。
ところで、この『少年漫画詩集』には非売品ながら復刻版が出されている。長野県野沢の「村のホテル住吉屋」の御主人、河野正人さんが1992(平成4)年に出版されたものだ。住吉屋はスキーがお得意だった田河さんの定宿で、原稿執筆にも利用したホテルである。筆者は国際版画美術館に在籍していた時、田河さんの追悼展開催のため住吉屋へ伺った。1990年1月だったと思う。あわただしい準備の中、車で借用に向かったが、豪雪地の野沢に革のビジネスシューズという出で立ちの若い学芸員にも丁寧に応対をしてくださったのは今思えば河野さんだった。地元でも人望の厚い方だった。詩集の復刻を望んでいた未亡人・潤子さんのよろこびはことのほかだったという。
『滑稽探索 田河水泡の研究とコレクション』展/ 町田市立博物館 2018年1月21日(日)まで 【休館日/月曜日(祝日除く)、〜1/4】
詳細は町田市ホームページまたは町田市役所へ【電話】042・722・3111
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