戻る

町田 コラム

公開日:2022.04.07

町田天満宮 宮司 池田泉
宮司の徒然 其の100

春はやってくるか



 真冬日があったり雨があったりしながら春はやってくる。採りそこねたフキノトウがすっかり背伸びをする頃、境内ではタチツボスミレがたくましく咲き始めた。わが庭でもピンクのサクランボの花や、李(スモモ)の純白の花と真っ赤に吹き出したカナメモチの若葉のコントラストが楽しませてくれる。李の足元には網笠百合(アミガサユリ)がまるで不如帰(ホトトギス)と武蔵鐙(ムサシアブミ)の新芽を眺めるようにうつむいて咲く。スモモやサクランボは花桃やソメイヨシノとほぼ同時期に咲く。3月3日を桃の節句というが、これは本来旧暦の3月3日、つまり現在のカレンダーでは今年は4月3日になるから、その頃桃が咲いている時期ということ。これは七草や5月の節句も同じことが言えて、七草は旧暦1月7日頃なら野山で採取できるが、新暦1月7日では芽吹いていない。5月の鯉のぼりは梅雨時の雨を滝に見立てて鯉が昇る様子から、強い男の子に育つようにと願ったものだから、新暦5月の快晴の空を泳いでは故事に合わない。そう考えると、日本はかなり新暦=太陽暦に慣らされてしまい、季節に応じた旧暦を中途半端に残しつつ、ハロウィーンやクリスマスの良いとこ取りをして、衣食住もすっかりミックスされてしまった。中国は今も旧正月を大切にし、賑やかにお祝いするのだから、これについては見習うべき点だ。



 旧暦と新暦の不都合に憤りを訴えたり、草木や虫を愛でてうつろう季節を感じ、日々衣食住に不自由なく、好き勝手に受け売りのコラムを書いたり、コロナ禍で自制しつつも当たり前のように平穏な日々が送れる幸福。そんな時、ウクライナにはミサイルが降り、地下シェルターで怯える人々がいる。戦争とは殴り合いからこん棒を持つようになり、刃物になり、銃になり、大砲になり、爆弾になり、ミサイルになり......。原点は殴り合い、殺し合い。目的は勝って優位になること。領地を広げること。かつて日本も古代から徳川時代までそれを繰り返していた。国がまとまると国民を洗脳し外国にも噛みついた。そして米国の核の傘の下で立ち回る末路。ゼレンスキー大統領が言った。「アジアで最初にロシアへ制裁をした日本に感謝します」と。戦争反対という正義や善意だけではない事情もあるから、少し後ろめたい。仕方がないんだ。必然なんだ。そういう末路なんだから。



 ウクライナでも季節の草花や街路樹が、生活の一部として人々の心を和ませていたはず。でも今はそれどころではないし、草木は走って逃げることもできない。人間ありきの戦争で草木は運命を静観するしかない。しかし、平穏な時がやってきたなら草木は必ず復活する。生き残った草木は焼け野原に広がっていくし、幸せの鳥爆弾が緑の種を投下する。だから無茶な侵攻は早く止めてほしい。復活していく緑を愛でる国民を減らしてはいけない。復活した愛国心あふれる国民が、緑を整えながら営み愛でるのだから。

    ピックアップ

    すべて見る

    意見広告・議会報告

    すべて見る

    町田 コラムの新着記事

    町田 コラムの記事を検索

    コラム

    コラム一覧

    求人特集

    • LINE
    • X
    • Facebook
    • youtube
    • RSS