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町田 コラム

公開日:2022.11.10

町田天満宮 宮司 池田泉
宮司の徒然 其の112

  • 境内で見かけるどんぐりたち

どんぐり生活

 感染者数の減少傾向がますます人々の感染対策に微妙なギャップを生む秋。近郷近在の神社では秋祭りを強行したり自粛したりと様々。当社例大祭は開催を望む声に押されて縮小しつつも斎行した。初日は台風の影響で断続的に雨が打ち付けて、境内に並ぶ店も拍子抜けだったが、二日目は嘘のような秋晴れとなって境内は歩けないほどの参拝客。みんな祭に飢えていたんだと実感しつつも、人が多いゆえのリスクは当然ひしひしと感じられてしまった。

 秋祭りが終わるとどんぐりが落ち始める季節。当社にはシラカシ、コナラ、マテバシイ、スダジイがある。先陣を切るのはスダジイだが、殻斗(から)の形が一般的なイメージのどんぐりとは違う。写真は大部分がスダジイで、帽子をかぶっているのはシラカシだ。シイはスダジイ、コジイ、マテバシイなどがあるが、一般的にシイの実と言えばスダジイをさす。この他、クヌギやウラジロガシ、ブナ、アラカシなどを総称してどんぐりと呼ぶが、どんぐりと言えばかわいらしい帽子を被ったカシの実の形がどんぐりのイメージとなっている。

 穀類、ことに稲作が始まったのは縄文時代後期とされている。それまでは定期的に移動して食料を調達する生活スタイルだった。その頃まで盛んに食べられていたのがどんぐりで、主に粉にしてせんべいのように焼くか、団子にしていたのだろう。どんぐりの大半は冷水に長時間さらしたりしてアクを抜かないと渋い。ところがスダジイは生のまま食べても渋味はなく、咀嚼すると少し甘みもあり、私にとっては秋のおやつだ。放置しておくと縦にひびが入り、それが食べ頃サイン。

 ちまちま食べながら思う。小さなどんぐりもかつては縄文人の生活を支えていた。米や麦の味をおぼえた人間は、どんぐり生活には戻れない。それでも、少し地味な生活に立ち返らないと、食品ロス、エコ、持続可能な地球環境は守れない。ただしそんな考え方も、何でも手に入る、何でも食べられる国に生まれ育ったからこそ言えること。ミサイルを乱発する某国のリーダー。一発数十億円とも言われるミサイルを海洋投棄するのをやめて、国を開いて人道的な国として歩み出せないだろうか。そのリーダーは昔、「国民が白い米を食べられるようにしたい」とのたまっていたこともある。地球環境のために節約しようとする先進国と、経済を発展させて先進国に追いつこうとする国。足並みを揃えるのはプーチンを止めることより難しいかもしれない。

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