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公開日:2023.08.17

湯の花トンネル
戦禍 列車銃撃から78年
慰霊の集い 40回の節目

  • 黒柳美恵子さん

  • 湯の花トンネル

 太平洋戦争末期、走行中の列車が八王子市裏高尾町の「湯(い)の花トンネル」付近で米軍戦闘機の銃撃を受け、52人以上の乗客が亡くなった。この事件から78年を迎えた8月5日、遺族や地域住民らが現場近くに建立された慰霊碑に献花し、静かに手を合わせた。戦後の調査で犠牲者の身元が明らかになり、開かれるようになった慰霊の集いが、今年で40年の節目を迎えた=写真。

 1945年8月5日、新宿を出発した列車は長野へ向かっていた。3日前の八王子空襲で不通になっていた中央本線がようやく復旧し、再開後初の中距離列車として車内は自宅や疎開先へ向かう人などで超満員だった。午後0時20分頃、列車がトンネルに差し掛かった時、東の空から米軍機4機が飛来して列車に繰り返し機銃掃射を浴びせた。この銃撃で52人以上が死亡し、133人が負傷した。

平和の大切さ語り継ぐ

 当時は戦時下の情報統制で詳しい被害が公表されず、戦後になって家族の死亡を知った遺族も少なくなかった。その後、市の戦災調査をきっかけに「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」が40年前に発足。遺族らを招き毎年、慰霊の集いを開いてきた。

 この日は遺族や地域住民だけでなく、数日前の新聞報道で初めて慰霊が行われていることを知ったという当時10歳の当事者や、この事件を夏休みの自由研究のテーマにしたという市内の中学生も訪れた。集いに参加し続けている遺族会会長の黒柳美恵子さん(91)は、銃撃で同乗していた2歳年上の姉を亡くした。一人生き残り、自宅へ帰る道すがら「両親にどう話せば良いか」と思い悩んだことを今も覚えている。「私にとってはたった一人の大切な姉のことだが、慰霊の集いを続けてくれているボランティア、手を合わせに来てくれる皆様に感謝している」と話し、戦争の悲惨さと平和の大切さを語り継ぐことの必要性を説く。

 「忘れない、というのは四六時中ということではない。年1回、ここで事件と亡くなった方に思いをはせる、それが慰霊」と語るのは、慰霊の会の齊藤勉会長。立ち上げ時からのメンバーで「亡くなった方々を慰霊し、ここで起きた惨劇を後世に伝え、悲惨な戦争を繰り返してはならないという思いで会が発足した。多くの方のご協力で続けることができた」とこの40年を振り返る。今後について「体力が続く限り続ける。ぜひ若い人にも関心をもってもらい、参加してほしい」と願う。

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