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公開日:2024.02.09

大和市消防本部
13隊41人を派遣
能登半島地震の救援で

  • 取材に応じる(左から)山口さん、塚田さん、小林さん

 能登半島地震を受け、県内の消防隊員らが現地に派遣され救援活動を行っている。大和市消防本部の隊員らは1月9日から行方不明者の捜索や後方支援を実施。同31日までに計7回、13隊・41人が被災地に入った。

 市消防本部によると、神奈川県大隊の第1陣として大和市からは2隊7人が1月9日、石川県輪島市に向けて出発した。第1次派遣隊の消火小隊長だった塚田享太さん(45)は同日夜、福井県の消防学校に泊まり、翌10日午前4時、宿営地のある石川県能登町を目指したが、地割れや土砂崩れによる道路の寸断に阻まれ、通常4時間ほどで到着する道のりを15時間かけて進んでいった。

 塚田さんと同じ第1次派遣隊の後方支援小隊長だった山口嘉史さん(47)は能登町にある「やなぎだ植物公園」で隊員らが寝泊まりする宿営地の設営や食料の準備などにあたった。県大隊の284人が利用するが、あたりは地震による停電と断水で「トイレの確保もままならない状況だった」と振り返る。

 塚田さんは、土砂で流された家屋から行方不明者の捜索にあたったが、巨大な倒木に阻まれ、活動は難航した。「ドローンで現場までのルートを確認し、家屋の残骸の位置をもとにマーカーで(行方不明者がいると思われる場所に)印をつけても、翌日の大雪でそれも消されてしまう。とても難しい現場だった」と振り返る。

 第5次派遣隊の救急小隊長として23日から輪島市町野町に入った小林一道さん(51)は、震災で被害を受けた消防署の代替施設となった近くの中学校で119番対応などに従事した。

 小林さんによると、町中に地元住民の姿はほとんどなく、あたりは静けさに包まれていた。「現地の署員たちは昼夜寝る時間も惜しんで活動をされていた。親族や知人の安否など心配も多いはずなのに」と振り返った。

 3人は東日本大震災の時も派遣隊として被災地で活動した。これまでの救援活動の経験から「日ごろから隣近所の人たちと交流し、家族構成などお互いのことを理解し合えれば、緊急時の捜索活動もより有効に行える。普段からの人間関係も大切にしてほしい」と塚田さん。山口さんは「携帯トイレを常備していても、いざという時に抵抗感から使用できないという方もいる。携帯トイレを使う訓練も必要だと感じた」と振り返る。小林さんは「帰省中の人も多い中の地震だった。揺れた時に命を守るため、家具の固定や耐震化などを今一度考えることも大切では」と話していた。

 市消防本部によると、2月5日現在、県大隊の第9次派遣隊として26隊・76人が現地で活動する。大和市からの派遣は現在はないという。

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