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海老名市 クリーニングハウス ハイジ 「おかげさまで創業30年」 親子2代 どんな時も「お客さまのために」
4月10日のきょう、海老名市の「クリーニングハウス ハイジ」(株式会社プゥル・ヴー)が創業30年を迎える。昨今の新型コロナウイルス感染症の拡大だけでなく、この30年の間にクリーニング業界を取り巻く環境は時代とともに日々変化している。そんななかでも「お客さまのために」という変わらない思いを胸に歩み続けてきた「クリーニングハウス ハイジ」の物語に迫る。
「一杯のかけそば」
ちょうど30年前の1990年4月10日。現在社長を務める今泉直人さん(42)の父・力也さん(70)が海老名市大谷北(現本店)に店を開いたのがはじまり。16歳の時に丁稚奉公から始め、ホテルのシーツやクロスを扱う大手のクリーニング店やワイシャツを専門に扱う工場などでの修業時代を経ての念願の開店だった。
しかし、時は竹下登内閣。開店に向けて、着々と準備を進めていたものの、3月になっても国の予算が決まらず、力也さんの店もその煽りを受け、平時であれば決まるはずの融資がなかなか決まらなかった。資金繰りに困った力也さんは、自身の貯えと妻・よねさんとともに親戚や友人のもとを回り調達した資金で何とか開店にこぎつけた。そんな時、力也さんがしきりに口にしていたのが、当時一大ブームになっていた童話「”一杯のかけそば”になるかもしれない」。当時、中学に上がったばかりだった直人さんもこの力也さんの言葉はよく覚えているという。
その後力也さんはよねさんとともに夫婦二人三脚で店を軌道にのせた。それを支えたのは何といっても力也さんの技術と経験に裏打ちされた知識。「化け学もわからないとね」。お客さんが持ってきたどんな汚れも詳しく話を聞いて預かり、汚れの性質を見極め、最も適した方法でキレイにして返す。どんな時も「お客さんのために」という思いを念頭に仕事に向き合った。その姿勢が「あそこはいいよ」という口コミを呼び、その口コミを裏切らない腕で確実に常連さんを獲得した。
ひと回り大きく
そんな力也さんの背中を見て育った直人さんが業界に飛び込んだのは24歳の時。「大変なところしか見ていなかった」ため、家業を継ぐつもりはなく、営業マンとして活躍していた矢先、力也さんの病が発覚。「1年限定」のつもりで手伝い始めたのがきかっけだ。力也さんから仕事を学び、腕を磨き、「繊維製品品質管理士」の資格を取得するなど、知識も蓄え、みるみるうちに仕事の魅力に取り憑かれた直人さんは、一般企業で培った経営感覚や価値観を生かし、店を改革。力也さんと衝突することもあったが、先行きが不透明になりだしていたクリーニング業界の常識から「このままではダメだ」と脱却。シミ抜きに値段をつけたり、ホテルや病院など法人向けの事業も展開。2008年2月に法人化し、「株式会社プゥル・ヴー」(フランス語で「あなたのために」)として再スタートした。
やり方は違えど、根底にあるのはやはり「お客さまのために」という思い。時代が変わっても「お客さんの信頼と信用を得られるかがその後を決める。だから今のこの状況でも”一杯のかけそば”にならないように”お客さまのために”をモットーに踏ん張りたい。どうぞ末永くよろしくお願いします」
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