綾瀬市上土棚南のボウリング場「ミネボウル」(峯尾ミツ江代表)が5月21日に営業を終えた。ボウリングブームの1972年にオープン。施設の老朽化に伴い、閉館を決めた。多くのファンに親しまれた娯楽施設が惜しまれつつ51年の歴史に幕を下ろした。
ミネボウルは、綾瀬市内でガソリンスタンドなどのサービス業を展開する嶺商事有限会社が運営。峯尾代表の夫で創業者の故・芳之氏が運動の習慣化や健康増進を目的に30レーンを備えた施設としてオープンさせた。流行の絶頂に抱いた活気はあてが外れ、当初は閑散状態だったという。
「ボールを投げてもらえたら楽しさが伝わるはず」。不退転を地でいくような性格だったという芳之氏は、歌手を招いてコンサートを開き、企業を回って実業団チームを誘致するなど、あの手この手で客を呼び込んだ。
綾瀬市在住で当時、神奈川三協サッシセンターの選手として活躍した加藤伸一さんは「仕事後に毎日2時間みっちり投げ込んだ。10チーム前後の実業団が技術を磨いた」と懐かしむ。
古き良きアメリカを彷彿とさせる施設は、芳之氏の右腕として経営に参画した長男の故・近平氏によるもの。受付カウンター付近で来場者を出迎えるレトロな人形のモニュメントもその一つ。アイデアマンの専務として跡継ぎを期待されていたが2013年に48歳の若さで病に倒れ、その6年後に芳之氏も後を追うように他界した。
老朽化、抗えず
「夫が築いた施設を残したい」と立ち上がったのがミツ江さんだ。知識や経験もないまま、次女の博子さん(54)と二人三脚で雨漏りや開業から使い続けるボウリングマシンを修繕しながら継続を試みたが、待ったなしで進行する老朽化には抗えなかった。
86歳になったミツ江さんは最終日に開かれた会員向けの大会に足を運び、常連客の思い出話に耳を傾け思いを重ねた。閉館にあたり「皆さんに支えられ育ててもらい、感謝の気持ちでいっぱいです」と言葉を結んだ。
大会には132人が参加し、ピンの倒れる音と共にハイタッチを交わし、閉館を惜しむようにボールを投じていた。
思い出の場所
横浜市から足を運んだ千葉幸生さん(82)は、20年以上前からの常連で「アットホームな雰囲気が好き」と、週3回のペースで通うようになった。ミネボウルは、シニア向けの県大会で選手宣誓を務めた思い出の場所で「終わってしまうのは寂しい。身体が動く限りは通い続けたかった」と残念がった。
同社では閉店後の跡地利用は未定という。
|
|
|
<PR>
海老名・座間・綾瀬版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
<PR>