社会派からコメディ、児童文学に古典、時代物――とジャンルに縛られることなく演じ続けてきた俳優人生だ。昭和26年に旗揚げした横須賀を代表する「劇団河童座」。通算227回の自主公演回数は、市民劇団としておそらく日本一。その立ち上げメンバーの1人として、今も舞台に立ち続けている。
格好つけて言えば「舞台で死にたい」
昨年末に青少年会館で行われた公演シーン。車椅子姿はあくまでも芝居上の設定だ。認知症の老人を抱えた「家族」をテーマにした「わしゃ 喰っちょらん!」は劇団の十八番。同作品の初演は今から23年前、61歳の時。主役の祖父役を演じ続けている。今回は再演希望に応えた復活の舞台だった。
認知症が進行する祖父に翻弄され、バラバラになりかけた一家が気づきを得て、救いを見出すまでを描いたストーリー。「悲しい話ではなく、楽しい話。高齢者の介護問題を明るく乗り切ろう、とのメッセージを込めた作品です」。客席には同世代も多く、会場を後にする男性から「身につまされた。本当にいい芝居」と声を掛けられた。
実は本番のひと月前、自宅で足を滑らせて石垣に背中をぶつけた。肋骨に2カ所のヒビが入る大怪我を負いながらも強行出演。昼夜の連続公演でコルセットを外して挑むなど、周囲を驚かせた。「思うように動けない。振り向けない。それが芝居にリアリティを与えたかも」とよく通る声で笑った。
180回+αを経験
これまでにのべ180回以上の舞台に携わってきた。客演を加えたら数えきれない。
12人の陪審員たちが、殺人事件に対する評決を下す法廷劇「12人の怒れる男」では、舞台を客席で360度囲むように設え、緊張感と臨場感を演出。「鼻血が出そうになるほど興奮した」とのほめ言葉をもらったことは今も忘れられない。
タイトルだけを示され、台本なしで役者陣が即興で演じる実験的な芝居もあった。スタンダードから型破りな挑戦まで―。演出家と役者が一体となって取り組んだ思い出が次から次へと口を継いで出る。
芝居馬鹿の集団
66年に及ぶ劇団員生活。高校時代の演劇仲間と結成した劇団を守ってきた。座長の横田和弘氏の言葉を借りれば「芝居馬鹿の集団」。
その中でも抜群の存在感を放っている。劇団のメンバーは、親しみと尊敬を込めて「ベルシ」と呼ぶ。鈴村の鈴を英語で言い換えたニックネームだ。
現役時代は小学校の教員を務めたほか、青少年会館の職員として子どもたちと触れ合う時間を過ごした。教え子を演劇鑑賞に連れて行き、舞台づくりの魅力を説いたこともある。先ごろ、そのうちの一人が歌舞伎座の「大道具」に就いていると聞いた。「蒔いた種が実っている」
人前で演じる快感
「生涯現役・生涯一俳優」を貫く覚悟だ。かつて結婚式を舞台の上で開こうと考えたことがあったほど、愛してやまない場所。「格好つけて言えば、最期は舞台の上で倒れて死ねたら本望」と冗談交じりに笑顔を見せた。
劇団は5月の新作公演に向けてすでに動き出している。どんな芝居になるか、自分の出番があるかも聞いていないが、作家(演出家)にはこう伝えている。「新作は覚えるのが大変。セリフは少なくしておいてくれよ」
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