塚山公園の高台にある国史跡の「三浦安針墓」。最寄りの駅は―?と尋ねられて、すぐに答えられるだろうか。駅名から「安針塚駅」と言ってしまいそうだが、実際に現地への標識などの案内があるのは、京急の逸見駅側。安針墓を指す3つの道標(石製の道しるべ)の一つがあるのは横須賀駅だ。
横須賀市では、按針にゆかりのある自治体と「按針と家康」をテーマにした大河ドラマ化をNHKに働きかけている。歴史番組など取り上げられることも増え、最近では「安針墓」を目指して訪れる市外からの観光客も少なくない。「安針塚駅にいるが、ここからどのルートを行けばいいか」「最寄りはどの駅か」―そんな問い合わせが、菩提寺の浄土寺や行政センターにあるという。
市指定の文化遺産
「安針墓」では1905(明治38)年ごろから21(大正10)年にかけて、大規模な発掘調査と再整備が行われた。その一環で、3つの道標が建てられたと言われる。当時、横須賀の玄関口だったJR横須賀駅。改札から出て右手にあるのが「安針塚山へ約十五町」という道標。「1町」は約109mで、おおよそ1636m先という表示だ。線路を渡って国道16号を北上した汀橋近く。自動車販売店の横に「――約十一町」と記されたものが残る。この角を左折し鹿島神社の横を通って塚山公園方面に真っすぐ歩くと、防災トンネル脇の階段入口にあるのが3基目。「――約五町」とあり、いずれも方向を指した手の絵と「WILLIAM ADAMS TOMB□M」と英語の表記があり裏側には、大正十年二月十五日と刻まれている。横須賀市は90(平成2)年、これらを市指定文化遺産に指定している。
「道標の存在知って」
そもそも、京急線の安針塚駅は1934年の開業当時、「軍需部前」という名称で、戦時下に軍事施設の所在を表す駅名は好ましくないとして6年後に「安針塚」と改称された経緯があるという。地図上では逸見駅からの距離は変わらないが、安針墓までの「表玄関」という趣ではなく、駅から十三峠・大楠山へ抜けるハイキングコースの一部として案内されている。
一方の逸見駅周辺では「逸見按針通り」のフラッグを道路に掲出し、秋には「按針フェスタ」と題したイベントも開催(今年は10月26日(土)に実施)。一昨年、地元の市民団体が発行した地域ガイド冊子には、道標の場所や逸見駅からの散策コースを記載するなど、”按針”を軸にした地域活性と街のPRにに力を入れている。こうした動きに関連して、「かつて人々を案内した道標の存在をもっと知ってもらいたい」といった声も地域から上がっている。
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