三浦学苑高校の職員(体育施設管理者)として勤務する三輪忠文さん(馬堀町在住/59)は、「近代五種」競技でソウル五輪(1988年)出場を経験したオリンピアンだ。しばらく競技からは遠ざかっていたが、昨年5月に審判員として15年ぶりに復活。今夏の東京五輪でもジャッジを務めることになっている。
ボロボロの身体、苦い思い出
三輪さんは元自衛官。高校卒業後に入隊したが、訓練課程で図抜けた身体能力の高さを買われ、世界で活躍するアスリートの育成組織である自衛隊体育学校に召集された。実は三輪さん、高校時代はバイクを乗り回す”不良少年”。スポーツは小・中学校時代に空手をかじった程度だったが、指導者が成長の「伸びしろ」に目を付けた。
そんな三輪さんに薦められたたのが「近代五種」という、聞いたこともない競技。しかも五輪出場が命題であると伝えられた。近代五種は水泳、馬術、フェンシング、射撃(ピストル)、4千mクロスカントリーの5種目をすべて1人でこなす過酷な競技。敵地を偵察する軍隊の斥候(せっこう)を体現したスポーツで、競技者の大半が軍人(国内では自衛官)や警察官が占める特殊なものだった。
「1種目で二流でも、5種目のトータルで一流になればいい」。20歳でスタートした競技者生活。指導者のこの言葉を信じて、死に物狂いで練習に励み、メキメキと頭角を現した。特に射撃は、海外のコーチに専門種目への転向を薦められるまでのレベルに達した。
4年目に世界選手権代表の座を射止め、世界ランキング15位まで順位を上げた。だが、振り返れば選手としてのピークはここだった。26歳で迎えたソウル五輪はなんとか出場を決めたが、「練習過多で酷使してきた膝はもう限界。結果は過去の海外遠征で最低の成績」と今も振り返れば悔しさしかない。
28歳で選手生活に終止符を打ち、防衛大学校でフェンシングを教えるためにやってきた縁で横須賀に居を構えた。三浦学苑は定年退官した2015年から勤務している。野球部の選手には自らの経歴を一度も話したことがない。「過去の栄光は過去のもの」。しがみつかない生き方がモットーだ。
横須賀版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
|
<PR>