横須賀・三浦 コラム
公開日:2026.09.25
三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第62回 文・写真 藤野浩章
四十路あまり
六とせ過ぎにし空蝉(うつせみ)の
からの衣の
やつれ捨てたり
◇
幕府随一のエンジニアであり、軍人としても名を知られていた三郎助は、一方で「木鶏(もっけい)」という雅号を持ち、地元・浦賀の俳諧グループを率いるほどの熱心な俳人だった。浦賀奉行所の与力に加え幕府海軍の第一人者として活躍しながら、心には常に風流を忘れなかった、というのが三郎助という男だったのだ。
慶応2(1866)年、世の混乱はますます大きくなり、2回目の長州征伐で幕府財政の破綻は確定的に。その裏では薩摩と長州が組み、倒幕へのカウントダウンが始まっていた。そんな中でも、三郎助は長州をまとめ上げた桂小五郎や、幕府軍の最前線で数々の難交渉に携わった勝海舟の事を思っていたのではないだろうか。それはすなわち"この難しい時代に自分はどう生きるべきか"という究極の問いだったのかもしれない。
15代将軍に慶喜(よしのぶ)が就いた直後、三郎助は正式に家督を息子の恒太郎(つねたろう)に譲る。後継が16歳を迎えると致仕(ちし)、つまり引退するのが奉行所の習わしだったのだ。そんな時に詠んだのが冒頭の歌だ。
『源氏物語』の空蝉は出家する覚悟をしたが、三郎助はその言葉に何を重ねたのか。「やつれ捨てる」は、単に体の衰えが表現されているのではない。むしろ「新しく生まれ変わる」と解釈できるだろう。
つまり、これは決して悲しい歌ではなく、新しい人生を生きる覚悟をした決意表明だったのかもしれない。
そんな彼に声を掛けたのは、またしてもあの男だった。
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