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横須賀・三浦 コラム

公開日:2026.10.23

三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第66回 文・写真 藤野浩章

  • 城南宮(京都市伏見区)

    城南宮(京都市伏見区)

  • 三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 (写真2)

「手間はとらせぬ。クルップ砲の力を試す好機ではないか」

◇

 一部の公家と組んだ薩長によるクーデターの知らせを聞いて、江戸城は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。260年続いた徳川幕府が一夜のうちに崩壊し、一大名に成り下がったのだ。幕府の誰もが激昂したのは無理も無い。

 当然、幕府内では薩長を討つという主戦論が大勢を占めたが、それを察した慶喜は武力衝突を避けるために大坂城へ移る。ここで諸外国の支援を取り付け、体制を立て直したいという思惑があったとされる。

 そんな時、江戸市中で浪士たちに強盗や放火などの破壊工作を行わせたのが西郷隆盛だ。武力で徹底的に幕府を崩壊させる口実のために挑発したというが、これに激怒した庄内藩や幕府の歩兵隊などが、三田にあった薩摩藩邸を襲撃し、焼き討ちする。この時、幕閣の主戦派のリーダーと目されていたのが小栗。直接の指示は不明だが、軍を統率する立場として何らかのバックアップはあっただろう。これが後の悲劇への重大な伏線になったのかもしれない。

 これを受けて、大坂の幕府軍は薩摩の罪状を朝廷に告発するために京都へ進軍。その途上の鳥羽・伏見で、ついに両勢力は戦闘状態になる。慶応4(1868)年1月3日のことだった。

 これに海軍も呼応し、開陽丸に陣取る三郎助の指揮で最新鋭のクルップ砲が使われ、大きな戦果を上げる。冒頭のセリフはその時に榎本武揚(たけあき)に発した三郎助のものだ。

 ところが、陸では幕府軍は追い詰められていた。そんな時、またしても慶喜が思わぬ行動に出る。

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