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横須賀・三浦 コラム

公開日:2026.10.30

三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第67回 文・写真 藤野浩章

  • 将軍お上がり場(浜離宮恩賜庭園)

    将軍お上がり場(浜離宮恩賜庭園)

  • 三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 (写真2)

 JR新橋駅から海に向かって10分ほど歩くと、都会の中にスポッと抜けたような巨大な緑の空間が見えてくる。浜離宮恩賜庭園だ。

 かつて徳川将軍家の別邸があったこの場所は、今では観光客で賑わう名所だ。東京ドーム5個分ほどあるという広大な庭園の中でも、知る人ぞ知るスポットと言えるのが、南の端にある「将軍お上がり場」。その名の通り、将軍が船の乗り降りをした地点だ。多くの将軍がここを通ったが、その最後の利用が、最も惨めな帰還となった。

 慶喜を乗せた開陽丸がここに到着したのは、慶応4(1868)年1月12日と言われる。3日に開戦した薩長軍との戦いは熾烈(しれつ)を極め、幕府軍が苦戦する中、6日には大坂城の大広間に諸将を集め、将軍自ら「最後の一兵になっても死力を尽くして戦う」と徹底抗戦を宣言したばかり。士気が最高潮に達したまさにその深夜、慶喜はわずかな部下とこっそり大坂城を脱出してしまう。

 そのきっかけとなったのが「錦(にしき)の御旗(みはた)」だったと言われる。薩長軍にこの日、朝廷の正式な軍となるシンボルが掲げられた。この瞬間、薩長の思惑通り「新政府(官)軍VS旧幕府軍」の構図が成立する。慶喜は天皇に刃向かう朝廷の敵、いわゆる「朝敵」となり、幕府軍はあっという間に"逆賊の幕臣"にされてしまったというわけだ。

 味方も知らなかった総大将の敵前逃亡で関西の幕府軍は総崩れになり、幕府側についていた大名も次々と離脱。三郎助らは艦隊に大量の敗残兵を乗せて江戸へ戻ることになった。

 次に新政府軍が狙うのは、江戸。一人ひとりに決断の時が迫っていた。

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