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公開日:2020.07.24

葉山町
旧金子邸 国登録文化財に
別荘文化 今に伝える

  • (上から)神奈川県旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘東棟南面外観、旧金子堅太郎葉山別邸恩賜松荘東面(松の間)外観、旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘東棟一階北西居室(町提供)

 国の文化審議会は今月17日、葉山町一色にある旧金子堅太郎葉山別邸2棟を国登録文化財にするよう萩生田光一文部科学大臣に答申した。近く、官報に告示され正式に登録される。

 旧金子堅太郎葉山別邸は海に面した景勝地に立地。南北棟にわかれており、南棟は平屋建切妻造桟瓦葺、北棟は平屋建寄棟造桟瓦葺で銘木を用い、欄間など細部まで意匠を凝らした上質な別邸と評価された。

 葉山町では、日影茶屋本店客室棟と石蔵(堀内・登録年2011年)、イエズス孝女会修道院旧館(旧東伏見宮葉山別邸、堀内・2017年)、旧加地邸(一色・2017年)が国登録文化財に指定されており、今回登録される分を含めると計6件となる。

意匠細部に

 明治から昭和にかけ、激動の時代を政治家、そして学者として過ごし、伊藤博文らとともに大日本帝国憲法の起草にも参画した金子。その金子が暮らした住居は葉山における別荘文化の歴史を語るうえで欠かせない。

 御用邸の建設に先立ち、明治20年前後に侍医のベルツ博士やマルチーノ駐日イタリア公使が滞在し、保養地として最適と推奨。翌年には町内で最初とされる別荘が建てられた。22年に横須賀線逗子駅が開設されると一層別荘地として注目されるようになった。

 同年、岩倉具定や井上毅とともに一色(現在の葉山しおさい公園)に構えたのが、旧金子堅太郎葉山別邸恩賜松荘。御用邸付属邸建設に伴い、大正11年に現在の場所に移転した。昭和30年に改築、平成19年に改修しており、現在は個人が所有している。

 旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘の建設は昭和15年頃。25年頃に増築し、平成18年に改修されている。恩賜松荘の東に立ち、2階建入母屋造桟瓦葺。1階は民家を移築したと伝わり農家風意匠とし、2階は銘木を用いた数寄風意匠となっている。恩賜松荘とともに、葉山の別荘を物語るうえで重要とされた。現在は有限会社上田義彦写真事務所が所有している。

 関東大震災で東京の本宅が焼失した後、金子は葉山の別邸を常住の住宅として使用していたという。

 両施設とも、現在のところ一般公開はしていない。

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