「東日本大震災支援プロジェクト」(PCAT)本部専従コーディネーターの医師 林 健太郎さん 由比ガ浜在住 37歳
より身近な支援に尽力
○…震災発生から1週間余りして、被災地へ。気仙沼を拠点に北は青森まで8日間かけて周り、医療活動を行いながら現場で必要とされている医療の把握に努めた。現在は、東京に戻り日本プライマリ・ケア連合学会の「東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)」本部で、被災地支援の陣頭指揮を取る。
○…PCATは被災地の中長期的な医療支援、地域の開業医支援などに力を入れる。被災地で最初にしたことは「亡くなられた方の検視でした」。被災者でもある開業医らが検視に駆り出され、まともに医療業務もできず、且つ避難所等での診療も不眠不休。「体がもたないですよ」と、地元医の代理を務めた。
○…東京都出身、琉球大医学部で学び沖縄で麻酔科医として働く。その後、日本医科大に所属し、各地の病院で救命救急に携わってきた。30歳で「国境なき医師団」に入り、ミャンマーやナイジェリア、スリランカ、イラク(クルド地方)など医療支援を必要する地域に展開する。現在は、医師団を辞め、より身近な医療に携わろうと同学会に席を置く。平常時は非常勤医として近くの病院で働く。
○…なぜ医師団に。あの9・11発生時、沖縄にいた。「知り合いの海兵隊員がイラクやアフガンに出兵していった。彼らは兵士だからね」と振り返る。そこで「僕は彼らとは逆に、医者として人の命を救うことをしよう」と心に決めたという。
○…結婚を機に05年に鎌倉へ。「神社仏閣がたくさんあって好きです」。休みがあれば、トレッキングで汗を流し、そして温泉、お酒のコースがお気に入り。
○…PCATの本部専従として、被災地への物流確保や人事管理、行政との折衝、そして「長期戦になるから資金集めも大切」。被災地はいま、介護スタッフが足りないという。また、入れ歯のグリップ剤など「生活に必要なもの」も求められている。支援態勢を整えて、4月から本格稼動する。