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鎌倉 社会

公開日:2018.06.15

県民功労者表彰〜受賞者の歩み(上)
日本マーチングの”父”
広岡徹也さん(87歳・材木座在住)

  • 定年後、海のそばで暮らしたいと妻の地元鎌倉へ。職場結婚した妻は部の顧問として公私ともに支え続けている。お気に入りのアロハシャツはハワイに住む娘・孫からの贈り物。

 公共の福祉に貢献し、その業績が優れた人に贈られる神奈川県県民功労者表彰。今年度受賞した市民2人を2回にわたり紹介する。今回は歩いたり、隊列を変化させながら管打楽器を演奏する「マーチングバンド」の第一人者・広岡徹也さん。吹奏楽とマーチングバンドの普及振興に対する功績が評価された。

 広岡さんは東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業後、関東学院中学校高等学校で教職に就き、吹奏楽部を指導。1957年から8年間、県吹奏楽連盟常任理事を務めた。

 人生の転機となったのが横須賀に駐留していたアメリカ海軍の「ビューグルバンド」との出会い。

 当時は座って演奏するのが当たり前の時代。屋外で歩きながら演奏するマーチングバンドに衝撃を受けた。すぐにのめり込み、長期休暇に入るたびアメリカでの講習会に参加。技術を持ち帰り、指導したという。

ゼロから大舞台へ

 そして66年、関東学院のOBらと結成したのが、日本初のマーチングバンド「日本ビューグルバンド」だ。「まだなじみのない時代。西洋チンドン屋と馬鹿にされたことも。かえって熱が入ったよ」と笑う。その後、大阪万博でのショーやアメリカでの1万5千人のバンド指揮、国体オープニングでの演技指揮など、数々の大舞台をこなした。「バンドは歌うように演奏しないと」。そう語る姿はハツラツとし、87歳という年齢を忘れさせる。

 現在、顧問を務める(一社)日本マーチングバンド協会には700を超える団体が所属。教え子も800人を超え、指導者となり相談に訪れる人も。

 広岡さんのトレードマークはアロハシャツ。今回の表彰に先立って行われた日本管打・吹奏楽アカデミー賞の授賞式にもこだわりの一着で出席したほど。「マーチングもカチッとしすぎない方がいい」と笑った。

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