大磯・二宮・中井 文化
公開日:2024.03.08
「湘南社」研究岩崎稔さん
「地元の自由民権家」に光を
大磯出身・鈴木房五郎など 冊子公開
明治時代に県央で活動した民権結社「湘南社」を研究する岩崎稔さん(平塚市在住)が、大磯出身の民権家・鈴木房五郎や後藤濶の生涯をまとめた冊子『海外へと赴いた明治民権期の廣田善朗と大住・淘綾両郡の青年たちの群像』を昨年12月に発行した。内容は現在、岩崎さんのホームページで公開中。
岩崎さんは2018年、湘南社の名簿に名前はあるものの、よく知られていなかった鈴木房五郎(1861年〜94年)の墓碑を大磯町寺坂で発見した。背面に刻まれた漢文から、欧米思想を学ぶために渡米した房五郎の人生と思想の特質についての論文を平塚市博物館に寄稿。同じく大磯出身の後藤濶や、平塚市出身の近藤賤男など、自由民権の思想を胸に渡米した人物たちの横顔を、残された文献や書簡から浮かび上がらせてきた。
鈴木房五郎は、明治14年に師範学校を卒業した後、国府小学校の前身の思文館の教員に。当時同僚には民権家がたくさんおり、「影響を受けたのでは」と岩崎さんは話す。房五郎は教員を突然辞め、明治18年6月にアメリカ・ロサンゼルスに渡ったという。
渡米時代の資料がほとんど残っておらず、長年不明だった房五郎の足跡を紐解くのに役立ったのが、同時期に渡米していた民権家・石阪公歴が家族と交わした書簡だ。公歴の書簡には、アメリカに渡った際に鈴木房五郎と近藤に世話をしてもらったこと、房五郎は「スクールボーイ」として学校に通っていたこと、房五郎のことを「第一級の人物だ」とほめちぎり、近藤のことは「社交家」と評価していたことなどがつづられている。
書簡の中で公歴は、房五郎がその後、肺炎を患い帰国したこと、『東西文明比較論』を執筆したことなどを報告している。房五郎は明治20年に帰国したが、6年後に33歳の若さで病没した。『東西文明比較論』はいまだに発見されておらず岩崎さんは「近代日本のあり方のきっかけを鈴木房五郎は訴えたのでは」と痕跡を探している。
岩崎さんは「大磯には自由民権家がたくさんいた。お互いに影響し合って生きていたことを、多くの人に知って欲しい」と話す。同じ大磯出身で、28歳の若さでハワイで非業の死を遂げた後藤濶にも触れ「未来を築こうとした青年が大磯に二人もいた。長生きしていればもっとおもしろかったかも」と目を細めた。
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